道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(16)

 道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(16)

「柔(やわら)」の歴史で「柔術」から「合気柔術」への転換となったのは「間合い」の発見であった。「柔術」では梃子の原理を使うことなど力を合理的に使うことは見出されていたが、それ以前の接触する段階で攻防の大勢が決まっていることがわかり、それを「拍子」として表現するようになる。「一拍子」や「無拍子」などである。「一拍子」は相手の動きの起こりを捉えて制するもの、「無拍子」は相手の攻撃しようとする心の起こりを捉えて制するものである。こうした研究から相手からの攻撃を受ける前に相手を制することができることが発見されたのであり、「拍子=間合い」さえコントロールできれば力もスピードも全く関係ないことが分かったのであった。つまり相手の攻撃が発せられる前に相手を制してしまうのである。本来、合気上げは「間合い」の感覚を開くトレーニングであった。つまり大東流は大東流が編まれる以前に既に「合気之術」のレベルに達していたのである。それが大東流を編むにあたって「柔術」や「合気柔術」のレベルに後退することになったわけである。それが再び植芝盛平によって「合気之術=合気道」として再生されようとしていたのであるが、結果としては「合気柔術」から抜け出すことはできなかった。重要なことは合気道は争いに勝つためのものではなく、回避するためのものであるという点にある。争いに勝つためにはかつて「パワーカラテ」といわれたようなトレーニングが最短で有効である。何事においてもそうであるが、よく目的と手段をわきまえて修行をしなければ、迷路に落ち込むことになるので注意が必要である。


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