道徳武芸研究 九華派八卦掌 乾卦解(4)

 道徳武芸研究 九華派八卦掌 乾卦解(4)

聖なるエネルギーへと変容した「龍」は、次には「天」へと飛び出す。「龍、飛びて天に在り」と「易経」には記されている。ヨーガでいうならムラダーラ・チャクラからサハスラーラ・チャクラへクンダリーニが昇ったということになろう。静坐では進陽火が頭部の泥丸へと至った、上丹田へと至ったとされる段階である。そして最後には「群龍を見るに首無し」とある。龍は群をなしているが、どれも首をもっていない、というわけである。これは静坐などのエネルギーの浄化だけでは日常生活に何ら資するものは生まれないということを教えている。つまり静坐や坐禅だけをやっていても武術は上達しない理由がここにある。こうしたところを王向斎は「気を勁に換える」としているが、まさにそうした段階がなければ静坐で養われたものを武術的な力として展開することはできない。つまり「龍」に「首」をつけなければ、何らの静坐を何ら日々の生活の役に立てることはできないのである。そのためには套路の練習によって合理的な心身の動かし方を習得しなければならない。套路を練ることで「気」は「勁」へと変化する。これら武術への展開にツイテは「用」を示す坤卦において説明することになる。「易経」は何度も易占をした結果が集められているものであるからいうならば「思いつきのメモ集」である。そのため全体を通した理解を求めようとしても意味は通じない。乾卦なら乾卦で大枠、似たようなイメージの情報が集められているに過ぎないからである。こうした「易経」の特質に留意しなければ「易経」はまったくの理解不能の書となってしまう。


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