道竅談 李涵虚(132)第十五章 神気と性命

 道竅談 李涵虚(132)第十五章 神気と性命

気が理に従って現れれば、気はさらに重要視されるようになる。この気はつまり元始真一の気である。陰(腎)が陽光(腎の一陽)の発現を得て、鉛(心)は鉛の中に鉛(真鉛。腎の一陰)を置くことになる。これはまた一陽(腎の一陽)の発生するのを見ることでもある。そうであるからこの気はさらにより重要となるわけである。金液還丹の道はただひとつの鉛やひとつの気によるのではない。修行者はこれを奥義と心得るべきである。

〈補注〉世に「理」を発見した人を「聖人」とする。「理」は「天機」などと称されるがこれは先天の「気」から導かれる「理」である。「天機」はそれを知ろうとしても知ることができないという。自ずから天機に合うという状態にあれば、結果として天機の存在を知ることができるのみである。そうであるから中国では歴史が重視される。一方、聖人が示した「理」は理論や法則であるから誰でもそれを知ることができ、それによってエネルギー(気)を使うことが可能となる。腎は坎卦(陰陽陰)であるからこれを「陰」とする。この腎の一陽が「真鉛」であり、これは離卦(陽陰陽)の心へ入ることになる。一陽が心に入り、一陰が腎へと至ることで心は純陽、腎は純陰となって乾(純陽)、坤(純陰)つまり天地となる。これは先天の世界へと入ることでもある。ちなみに後天の世界は純陽、純陰ではなく陽陰陽(坎)と陰陽陰(離)で互いに陰陽を有するむぶびの世界である。

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