道竅談 李涵虚(128)第十五章 神気と性命
道竅談 李涵虚(128)第十五章 神気と性命
『悟真篇』には「名前は違うが元は同じであることを知る人は少ない。性と命の二つは玄の玄なるものであり、これは機を得なければ分からない」とある。つまり性と命は異なる名前であるが、同じところから出ているとされている。それが性なのである。鉛と汞は異なる名前であるが、これらは等しく汞を源としている。そうであるから「水郷の鉛はただひとつ」とされるわけである。「ただひとつ」とある「ひとつ」とは鉛は汞と同じところから出ているからである。
〈補注〉性と命、鉛(神)と汞(気)はひとつであるが、共に「性」と「汞」から出ているとする。つまり心の働きがあらゆるものの根源にあるとするわけである。「汞」は腎であるから心の働きではないと思われるかもしれないが、ここでの「汞」とは腎の一陽をいっている。これは「真鉛」とされるもので心(鉛)に属している。また先天の「性」と後天の「汞」で心と体の対応という形を見ていることも分かる。同じ構造は先天では性と命、後天では鉛と汞、先天後天では性と汞となる。