道竅談 李涵虚(125)第十五章 神気と性命
道竅談 李涵虚(125)第十五章 神気と性命
それは修行を深めて行く過程で出現する「神秘体験(宗教体験)」にとらわれることをできるだけ排除するためである。緻密な修行体系を示すことで幻覚や幻聴の入る「隙」を与えないようにしているわけである。孔子は「怪力乱神」を語らないとして「迷信」との距離をおくことの重要性を教えていた。そうであるならどうして占いの書である「易」は儒教の重要な経典のひとつになっているのであろうか。それは「詩」と同じく、太古の人々の自由な心の動きを知ることができるものとして重視していたのである。神仙道でも儒教でも重要なことは本来の心の働きであり、それは日常生活においても働いている。だた時に欲望や誤った見解により強いて違った働きをすることがあるに過ぎない。そうであるから神秘体験を経る必要はないのである。