道徳武芸研究 「武道史は終わった」〜前衛武道・新体道〜

 道徳武芸研究 「武道史は終わった」〜前衛武道・新体道〜

「武道史は終わった」とは、かつて新体道で言われていたことである。これは、およそ武術(武道)を手段として開発し得る方法の全てが見出されて、それを通しての心身の開発が極限に達しており、これ以上、武術という枠組みを通して人類が得られるべきものが尽くされた、ということと解することもできるかもしれない。ただ、こうした考え方のベースになっているのは武術を「能力開発」法と捉える視点である。考えて見るに武術は攻防のための技術とされているが、その根本がサバイバルであることからすれば、これは単に攻防に勝つということだけではなく、あらゆる能力を総動員してのサバイバル技術であったと考えられるわけで、健康や精神の安定といったものをも含んでいた可能性があるのである。つまり「武道史は終わった」というのは、攻防の技術としての「武道」の歴史は終わり、新たに根本的な意味での「武道」の歴史が紡ぎ出されるというようにも解釈できよう。


また、こうした言は新体道が「前衛武道」と評されていた時代に出されたものである。その時代的な前段階として抽象芸術に代表される前衛芸術や共産主義などの前衛思想が持て囃される風潮もあった。また「前衛」という語には少なからず「カウンター・カルチャー」としての意味も含まれていた。「カウンター・カルチャー」とは一般的なカルチャーに「対抗」する文化の意である。「対抗」している部分が新しい、革新的とされていたところであるわけで、そうした視点からすれば「前衛武道」をとしての新体道は、従来の武道文化に「対抗」する位置に自らを置いていたということになろう。それは単にカウンターとしてあっただけではなく「前衛的=先駆的」であったということでもある。「前衛」には「後衛」があるわけで「前衛」として表れた文化は、何らかの後の世(後衛)において実現する可能性を有していることになる。


ここでは前衛武道としての新体道を「遠当て」を例にして、その先駆性を現在の武術において見られることと関連して考察して行きたい。最も前衛武道として新体道が注目されたのは青木宏之の『体は心のメッセージ』(1985年)が出された頃であろう。この頃はまた精神世界ブームの時期でもあった。つまり武術や瞑想などの「精神文明」が現代社会の「物質文明」へのカウンターでもあった時代なのである。

「遠当て」は触れないで気合だけで相手を倒す技である。新体道でこうした「技」が生み出される背景として井上鑑昭の親英体道との接触がある。触れないで倒す技は「合気」というものの必然として合気道や大東流に生まれている。かつて青木宏之は演武会で植芝盛平が「合わせる」「合う」「合っている」の段階のあることを言っていたと述べていた。つまり「合気」の稽古は始めは想定される技の流れに掛けられる方も掛ける方も互いが動きを「合わせる」ことで「技」が成立する、ということである。ただ植芝自身は、これを「互いに争う心をなくすこと」として説いていたようで、合気道はあくまで相手を制する技術ではなく、相手と和合をするものであるということを言いたかったのであろう。しかし、実質的に合気道では互いが最終的な「技」の形に合わせて動かなければ「技」そのものが成立しない。これを続けて行くと自然に互いが動きを「合わせる」ようになり、最後には意識しなくても相手の意のままに「合う」動きをしてしまうようになる。この段階で触れないで倒す技が成立してしまう。つまり触れないで倒す技は、相手の動きではなく、相手の思いに合わせて動いているところに成立しているのである。


従来の武術は攻撃して来る相手に対して、こちらも攻撃(反撃)をすることで相手を制しようとしていた。しかし「合気」では攻撃に対して「和合」をすることで、攻撃そのものの存在基盤をなくしてしまおうとする。触れないで倒す技の矛盾点は「合気」をしていて攻撃がなくなっているのにも係わらず、相手を倒してしまっている点にある。これでは従来の反撃と同じである。「合気」ということを原理的にとらえれば、この攻防は「相抜け=攻防の終結」にならなければならない。

大東流の「合気」は「反撃をしないと見せかける」だけで、結果として「和合」に至ろうとするものではなく、その点において矛盾はないのであるが「合気」が手段ではなく結果となってしまうと「合気を掛けられて動けない」という「和合」の働きであるはずの「合気」の「技」が攻撃となる矛盾が生ずるわけである。こうしたことは「合気」が充分に理解されていないところに生ずるもので、大東流のように手段として「合気」を使うのか、合気道のような結果として「合気」を使うのか、が明確に認識されなけば、ただ矛盾を繰り返すだけの稽古となってしまう。


「合気」に関する稽古に、こうした矛盾のあることを早く(1960年代頃か)に「遠当て」という形で具現化し得たことは前衛武道としての面目躍如というべきではなかろうか。かつては「遠当て」を突き詰めて行けば相手を殺すこともできるのではないかと真剣に考えられていたらしいことが、当時の録音で確認できる。つまり「遠当て」は矛盾の中で生じた意識の誤認によって生まれているのではなく、一般的な矛盾のない技であると捉えられていたわけである。

「遠当て」は「合気」というものが内包する矛盾を端的に示すものであり、これを実態としての技と誤解してしまうと、その武術としての体系は崩壊してしまう。新体道は、おそらくは意図しないまま「武道史の終わり」を見せていたわけである。


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