丹道逍遥 内面化する「託宣」と知行合一
丹道逍遥 内面化する「託宣」と知行合一
およそ神道の原点にあるのは「託宣」である。しかし現在の神社神道では、それは全くと言って良いほど失われてしまっている。ただ時に「託宣」は民間宗教において、その「力」を顕にして来ている。つまり本来の「託宣」とは社会的な規範を超越したものであり、それが意識の深層から発せられる「情報=託宣」である故に「力」を有していたのである。そもそも「神」という字、自体が「示す」と「申す」であるからメッセージ(託宣)と神祭りは深い関係があったわけである。そして人々は託宣を行動の指針とした。古くは天皇の霊威を凌ぐとされた一言主(ひとことぬし)の大神が、叶っても、叶わなくとも一言で厳しい「託宣」を下す神であったし、奈良時代の道鏡事件は宇佐八幡宮の「託宣」に発している。また平将門は「託宣」が下ったことを行動の指針として「親皇」となった。近いところでは天理教や大本教も「託宣」をもとに立教されている。現在の神社神道では祈るだけで「託宣」を得ることは求められてはいないが、神籤(おみくじ)は「託宣」のひとつの形ではある。神からの言葉を得る方法には神籤や亀卜などあったし、中世の絵巻などでは寺社に泊まり込んで夢告を得ようとする人の姿が多く描かれている。こうした人達は夢告や幻視、幻聴などで「託宣」が得られるまでは、ひたすら寺社に籠もっていたようである。
神楽は現在は舞踊となっているが、本来は神霊が寄り付いて自然に体が動くものであった。こうした現象を近代の古神道では「霊動」と称されることもある。鎮魂法では始めは「霊動」は荒々しく激しいものであるが、次第に静かに穏やかになって行くとする。そうして「託宣」が得られるわけである。この状態を鎮魂とわけて帰神と称することもある。かつては気功などでも「自発動=霊動」を起こすことが好ましいとされたことがあった。これは表層の意識ではなく何らかの深層の意識からの動きとして「自発動」があり、それを解放することで心身のストレスが緩和されると思われていたからである。ただこうした行動を起こす「ストレス」が意識の表層ではなく無意識的な深い部分に封じられているということは、それが顕在化するべきではない何らかの必然的な理由があるためで、これを不用意に解放すると、当然のことに弊害が生まれることもある。こうした危険な事例が知られるようになると「自発動」をベースとする気功は行う人が殆ど居なくなった。大本教などでも、始めは霊動を伴う鎮魂法をやっていたが後にはいろいろと問題もあって教えなくなって行った。
儒教において深層意識からの「情報」を重視するのが陽明学で「知行合一」は、そうした表層意識の影響を受けていない「情報」を全肯定しようとするものである。初めに心に浮かんだこと(ファースト・インスピレーション)を行動の指針とするべき、という考え方で、心に最初に浮かんだことが、いまだ個々人の利害打算に影響されていない「情報」であるとして、それを実行することを良しと考えたのである。それは心に初めに浮かんだ「思い」は人の心の根源である「性」に発するものと考えるからである。これには儒教で「性」は「善」なるものと見なされている、という前提がある。つまり心に始めに浮かんだことは最も「善」なる適切な「情報」であるから、それはそのままに行動の指針とされるべきと、考えるのである。
陽明学では静坐をすることで「性」から発せられる「情報」を的確に意識することができるようになると教えている。陽明学において静坐は「託宣」を得るための方途でもあったわけである。ただ、こうした「情報」は、そのままに実践しようとすると社会的な軋轢を生む危険もある。そうした軋轢を回避するべきか、あえて実行するべきか、この判断に王陽明の弟子たちは揺れて中国で陽明学は王陽明の死後、百年を経ないで「知行合一」を誤解して「情報」をそのままに実行して良いとする一派は社会的に抹殺されてしまう。そして多くが「秘教」化してその姿が見えなくなってしまう。
こうした「秘教」派において「託宣」として得られる「意識の深層から発せられる情報」とは「常識」のとらわれから解放されたものでなければならないのは勿論で、それを実行することで生じるかもしれない社会的な軋轢への超越は、ひとえに「力」のある「言葉」によることで可能と考えられていた。そのためにも深層意識からの「情報」である必要があるわけである。こうして得られた情報は「知行合一」が「知行一致」ではないように「知=託宣」をそのままに実行するわけではなく「知」と「行」の一致点(中庸)を見出して実践されたのであった。こうした生活を送っている中国人は実に多い。