道徳武芸研究 孫禄堂の「八母掌には腿法が含まれている」について
道徳武芸研究 孫禄堂の「八母掌には腿法が含まれている」について
孫禄堂は『八卦拳学』の凡例で以下のように述べている。
「(遊身八卦連環掌は)十八ドウ(足に堂)羅漢拳を内に含んでいるばかりか、七十二截腿、七十二暗脚も含まれているのであり、加えて点穴、剣術、いろいろな武器なども等しく、その中にあるのである」
つまり掌法の套路には羅漢拳や截腿、暗腿(暗脚)の「原理」が含まれており、これを習得することで羅漢拳や截腿、暗腿そのものを知らなくても応用として実戦においては使うことができる、というわけである。これは八卦拳の基本的な思想に基づくものであり、八卦拳では、
「走をもって先と為す」
とされるように全ての動きが歩法から生まれている。つまり歩法から全ての動きは生み出されている、ということなのである。こうしたことを孫は「掌法は先天(虚)である」と言っている。つまり八母掌は先天である「虚」であって攻防の働きは持たないが、これが相手の居る攻防の状態にあって動くと、それが技つまり後天の「実」となると考えるわけである。そしてそうなるには八母掌が単なる「虚」だけではなく、技の動きである後天の「実」とも関連を有する「先天と後天が合一」し得るものでなければならないとする。その鍵となるのが扣歩と擺歩であり、これらがなければ後天の「実」たる「技」への転換はできないのである。八卦拳のシステムとしては羅漢拳は截腿、暗腿に収斂され、截腿、暗腿は八母掌へと還元されて、それは最終的には扣擺歩に集約されることになるのである。また点穴や剣術などの武器術も結局は扣擺歩から敷衍された動きということになる。ただ、ここで問題となるのは先天の八母掌からどのような練習をすれば後天の技の動きに転換をし得るか、という点である。これにおいて龍形八卦掌は独特の工夫を見せているので、今回はそれについて触れてみることとする。
先に中央国術館で考案されたと思われる「龍形八卦掌」は孫禄堂の教えた孫派の八卦掌をベースに改良を加えたものであることを指摘しておいた(「八卦掌は何故「投げ技」の体系となったのか」)。ここでは冒頭に触れた孫の思想をどのように龍形においてより実用性のあるものとしているのか、について述べようとしている。それが如実に見られるのは龍形の特徴である換掌式の時に「片足を上げる」動きである。こうした動きは他の八卦掌には全く見ることができない。練法として龍形で、これを行うのは定架子の次の変架子、活架子においてであり、定架子の段階では足を上げることはしない。ただ扣歩をとるのみである。これにより内へ向かう力(内夾勁)を養うわけである。八卦拳の力の根本は内夾勁にあるのであり、八卦掌の多くで扣歩を重視して、それだけを練っているのはそのためでもあるが、擺歩が無いために「力の出し方が分からない」とされる原因にもなっている(扣歩=蓄勁、擺歩=発勁)。
扣擺歩が充分できるようになると足を上げる練習に入るが、この段階が変架子であり、これが暗腿の練法ともなる。空中で力を溜めて(内夾勁)、どの方向にも蹴りを放つことができるように練習をするわけである。そのためには空中で扣歩から擺歩に転ずることで蹴りの勢いが得られるようにならなければならない。次いで一旦、空中で止まることなく扣歩から擺歩を連続して行うのが活架子で、これにより截腿を練る。截腿は相手の出足を止めるものであるが、大きくいえばこれも暗腿(見えない蹴り)のひとつではある。
一見して奇異に見える片足を浮かせる方法は実は八卦拳には鶴行歩として存している。現在、多くの八卦掌で足を高く上げて歩く鶴行歩は失われているが、これでは一足ごとにつま先に「溜め」を作って暗腿、截腿が行えるように練習をしているわけである。龍形で片足を上げる動きがあるのは、おそらく何らかの形でこうした八卦拳の奥義が龍形に取り入れられた為であろう。他にも龍形には八卦拳の秘伝のあるのを伺うことができるが、これがどのようなルートで流転したのかは明らかではない。多くの八卦掌では扣歩のみがあって擺歩への変換が意識的に練られることがない。そうなると截腿や暗腿は使えないし、歩法から派生する身法にも重大な欠陥が生じる。孫禄堂は八卦拳の広まった北京にいたので、いろいろなルートから情報を得ていたのであろう。これを我々に置き換えてみると日本の武術に関する公になっている情報はごく一部であり、真義の確かでないものも含めれば多くの情報が飛び交っている。おそらく孫や中央国術館で龍形八卦掌を作った人たちも似たような環境にあったことであろう。現在、八卦拳から龍形を見ると実におもしろい発見がある。