道徳武芸研究 龍形八卦掌「上下換掌」の謎
道徳武芸研究 龍形八卦掌「上下換掌」の謎
龍形八卦掌には単換掌、双換掌に続いて「上下換掌」がある。これを含めて8本の形を有している。多くの八卦掌では単換掌や双換掌はあるが、上下換掌なるものを見ることはできない。龍形八卦掌のベースは孫家八卦掌である。これに形意拳や八卦拳の口伝が加えられているようである。同じく「中華国術教材」の太極拳(九九、双辺)は楊家が7割、呉家が2割と陳家(分脚)、形意拳(肘底看捶)、八卦拳(玉女穿梭)などが加えられて構成されている(陳家、形意拳、八卦掌に由来するとしてここで提示している技は一例である)。これは陳ハン嶺の武術歴に合うが、八卦掌に関しては違っているので、どのような人物が関与して龍形ができたのか興味深いところである。
さて「換掌」であるが、これを孫家と八卦拳で比較すると以下のようになる。
孫家八卦掌 八卦拳(換掌四式)
(両儀)青龍返首 ◯青龍返首
(両儀)黒虎出洞 ◯大蠎翻身
(四象)鷂子鑚天 ☓黒虎出洞
(四象)白蛇伏草 △白蛇纏身
注 ◯はほぼ同じ動作。☓は同名であるが孫家では動作が違っているもの。△は孫家では別のところで見られるもの。孫家の「黒虎出洞」は八卦拳では「大蠎翻身」と同じ動き。名前は同じでも八卦拳の「黒虎出洞」とは異なる。「大蠎翻身」は孫家では離卦鷂学のところに入っている。「白蛇纏身」は坎卦蛇形学にある。「白蛇伏草」は八卦拳では八母掌に入っている。他にも八卦拳の技法名は孫家に散見される。これについては、またまとめて紹介したいと思っているが、こうしたことからすれば八卦拳の拳譜の一部を孫禄堂が知っていた可能性が推測される。
ちなみに孫家では「換掌」を設けていはいない。一般的に単単掌、双換掌とされるところを「両儀」「四象」として、その他に8本の技を設けることで全体を構成している。これは八卦拳と同じ構成で換掌は八母掌とは別のものとする。こうして見ると現在よく知られている単換掌、双換掌を含めて8本としているものより孫家の方がより原形の八卦拳に近いシステムであることが分かる。一方、龍形は単換掌、双換掌を入れる形を取ったために「鷂子鑚天」をそれに入れることができなくなった。そこで止むなく「上下換掌」なるものを作る必要性に迫られたわけである。つまり本来の孫家と程派の八卦掌との間にあるシステム上の矛盾(換掌を八母掌に入れるかどうか)が「上下換掌」を生んだということである。
こうした経緯だけであるなら或いは「鷂子鑚天」を切り捨ててしまうこともできたのであろうが(孫錫コンの『八卦拳真伝』では孫家の形ほぼそのままで単換掌、双換掌としている)、あえて「上下換掌」を設けたのは梢節、中節、根節で作る八卦拳の三圏を明示してそれを練るという目的があったからである。
八卦拳では掌(梢節)で作られる圏と肘(中節)や肩(根節)で作られる圏があるとする考え方がある。そうした中で八卦拳は中節を最も重視する。それは中節が変化の起点となるからである。こうしたことの秘訣を「十二転肘」と称する。「転肘」というと肘打ちと誤解されていることが多いが、これは肘打ちをも含む攻防の変化を促すための起点に「肘」があるということなのである(梢、中、根のそれぞれが四方に展開するので3✕4で12となる)。これは龍形では、
単換掌 中節 寸勁 小圏
双換掌 梢節 分勁 中圏
上下換掌 根節 尺勁 大圏
となっている。また三節には発勁においては寸勁から尺勁までの区別がある。尺勁は一般的な打ち方でこれが最も威力がある。寸勁は威力には劣るが意外性があるので攻防に適切に使うと非常に有効でもある。これは日本の柔術でいう「当身」に近いとすることができる。分勁は寸勁にも尺勁にも変化できる状態であり、状況に応じて尺、寸勁となる。
また「円の動き」である「圏」においても変化の中心は「中圏」にある。こうした大小の圏を用いるのは太極拳でも見られており「乱環訣」なる教えがある。「乱環訣」では大小の円をどのように連結して行くのか、が示されているのであるが、太極拳の場合には「縦」「横」と変換することで大きさの異なる圏を繋いで行く。例えば「肘底看捶」であれば右拳で大きな横円を描いて、左掌は小さな縦円を取ることになる。これは大きな圏で相手を掴んで引き寄せると同時に左掌で相手の顔を迎え打つ形である。一方、八卦拳は「縮」身を入れることで変換をする。孫家であれば、
青龍返首 伸身
黒虎出洞 縮身
鷂子鑚天 伸身
白蛇伏草 縮身で転身、伸身となる
という展開が組み立てられている。龍形では双換掌と上下換掌に「白蛇伏草」を見ることができるが、龍形では双換掌では半馬歩、上下換では仆歩をとることが多いように思われる。人によっては共に半馬歩、あるいは仆歩のこともある。白蛇伏草は「草むらの中に蛇が潜んでいる様子」なので仆歩が適当であるのであるが、形意拳独特の発勁(十字勁 左右に手を分けて張るようにする)により半馬歩となったのであり、半馬歩となるのは孫家の影響である。梢節、根節を使い分けることからしても双換掌と上下換掌は半馬歩と仆歩で分けるのが妥当ではあろう。
龍形八卦掌は「中華国術教材」として教育的な見地からいろいろな「情報(昔風に言えば秘訣)」を学習できるように構成されている。これは九九太極拳でも同様である。太極拳では呉家の知識がないと、そこに含まれている「情報」を充分に活用できないケースが多いようである。つまり「中華国術教材」は教科書のようなものなので、それと同じく「指導書」がなければなかなか多くの指導者がそこに含まれている「情報」を開示することができないわけである。今回「上下換掌」を例にして「中華国術教材」ここに述べたのは、その使い方の一端でもある。他に八極拳などの套路も作られているので、こうしたものも大いに研究されればおもしろいのではなかろうか。