丹道逍遥 中世神道という世界〜「中世日本の神々」展によせて〜
丹道逍遥 中世神道という世界〜「中世日本の神々」展によせて〜
現在、國學院大學博物館では「中世日本の神々」展が開かれている。小規模の展示ではあるが、中世神道の世界を体感することができる。また図録もよく出来ている。中世神道の研究は神道だけではなく仏教、特に密教の知識が不可欠であるので、なかなか容易ではない。加えて神道、密教ともに『古事記』『日本書紀』あるいは『大日経』『金剛経』などの「正規」の知識だけでは対応できない部分が実に多い。それは個々の人が、それぞれに思ったこと(秘説)を記しているからである。現在はそうした説は「荒唐無稽」とされがちであるが、これをオカルト的な資質を持つ人の傾向から考えると、実はそれなりの内的「必然性」があるとされるべきであろう。「秘説」として複数の人達に受け継がれて行ったということはそれに共感する人が何人も居たということである。こうした精神環境のあったことは注意されなければなるまい。
古代にあっても、いろいろな神秘を感じた人は、あったであろうが、それを個人のレベルで適切に記しておくという発想はなかったようである。特に古代において一般の人が簡単に文書を扱える環境はなかった。それは役所や寺院に限られたことであったのである。しかし中世になると文字や紙も普及し、密教が知られることで自分の「思い」を「文章」つまり「秘説」として記すということが行われるようになって来る。そうした文化的な背景によって「秘説」を中心とする中世神道は大きく花開くのであるが現在、多くの文献は研究機関などにあるのみで一般には知られていない。これは日本におけるオカルト研究にあっては実に惜しいことである。ブラバッキーやシュタイナーも良いが、中世神道は日本の風土に育まれたオカルト思想として、特に我々にとっては豊穣な霊的世界を知らしめてくれるものなのである。
中世神道の中心となったのは伊勢神宮である。それは伊勢神宮が内宮と外宮で構成されていたことに由来する。つまりこのことが期せずして密教の金剛界、胎蔵界の曼荼羅世界と一致していたからである。密教では金剛界、胎蔵界の曼荼羅の中にあらゆる神仏を包含する。そうであるから伊勢神宮は、あらゆる神仏を包含していることの象徴的な存在であると認識されたのであった。そして、その中心にあるのは天照大神であった。これは「光」の神である。そしてまた奇しくも密教の中心にある大日経も「光」の仏であった。そうなると、あらゆる神仏は天照大神の変化したものと考えられるわけである。
古代において天照大神は「アマ(海)」を「照らす」神であった。つまり太陽光を象徴する神であったわけである。おそらくは日の出や日没に海面を煌めかせる太陽の光に神秘を感じたものと思われるが、そうした感覚は現代の我々にも受け継がれている。弥生時代には太陽の「光」を自在に操る存在が現れた。卑弥呼である。卑弥呼は太陽の「光」を反射することのできる鏡を中国から手に入れることで、太陽の光を自在に操る存在としての神的権威を得ていたものと思われる。
「この鏡は、専(もっぱ)ら我が御魂(みたま)として、吾(わ)が前を拝(おが)くがごとく拝き奉(まつ)れ」(『古事記』)
これはニニギノミコトが高天原から地上へと降る時の天照大神の言葉である。つまり、
鏡=(天照大神の)御魂=(天照大神の)姿
ということがここで語られているわけである。これは反射されている太陽光を天照大神として拝めということである。他にも岩戸隠れのところでも、天照大神は鏡に我が姿を写す場面がある。
こうした考え方が中世においては御正体(みしょうたい)となる。御正体は鏡の上に神仏の像を付けているものであるが、これは鏡の中にそうした神仏のあることを示している。それは神仏像を付ける前の平安時代あたりの御正体が鏡に神仏を線刻したものであることからも明らかである。そうした中で光を当てると鏡面には見ることのできない薄い線刻の姿が反射した壁などに浮き上がる「魔鏡」も作られている。こうした「魔鏡」を作るのは高度な技法が必要であるので、ただ線刻を施しただけの鏡も多く残っている。こうした「鏡」はまさに古代人が太陽光の反射の中に天照大神を見ていたのと同じことを具体的に示したものといえよう。
またこうした「鏡」の働きは密教の阿字観とも共通している。阿字観では月輪である無地の白い円の中に大日如来を表す「阿」字をイメージして「あ〜」という霊的な「音」までを観ずる瞑想法であるが、大日如来はあらゆる神仏に変化するので、これも「月輪」を「鏡」とすれば、まさに御正体そのものといえるし、卑弥呼の時代の鏡の秘儀にも通じることであろう。
今回の展覧会ではおもしろい史料を見ることができる。それは『大神宮本地』である。同書の「御入定全身像」には空海の入定している様子が示されているのであるが、そこで空海が法界定印を組んでいるであろう手のところに「日輪」と記されているのである。このことは同じく展示してある『日諱貴本紀』に「法界定印の上に日輪を持す」とあることでも明らかである。これはどうやら「日輪観」ともいうべきものがあったことを示しているようなのである。もともと密教では月輪観とその応用である阿字観はあったが、日輪観はない。
中世神道で見出されたであろう日輪観は下丹田あたりに組んだ法界定印のあたりに「日輪」をイメージするもので、それは仙道でいうなら下丹田に「先天真陽の一気」を発生させることであり、ヨーガではクンダリーニの覚醒ということにもなろう。下丹田あたりに太陽のイメージを持つことで「内的な熱=先天真陽の一気=クンダリーニ」を起こそうとするのは独特であるということもできる。仙道ではひたすら下丹田を静かに見つめるだけで「静」が極まった時に「動」が生じ、それが先天真陽の一気であるとする。ただ丹田の「丹」は「赤い」ということであるから、古代には丹田を「赤い玉」としてイメージしていたことがあったのかもしれない。その意味では日輪観は太古の瞑想法を伝えているとも考えられる。
さらにこの日輪観を詳しく知ることができるのは『麗気記』である。その「草薙剣」には下に宝珠があり、そこに先を上にして剣が立っている図があるが、そこでは宝珠も剣も炎に包まれている。そして「八尺瓊勾玉」とあるところは、同じ宝珠と剣であるが、剣が曲がっておりしかも二本が描かれている。これは「草薙剣」が仙道の小周天でいうところの「進陽火」を示すもので「八尺瓊勾玉」は「進陽火」に加えて「退陰符」が描かれていると理解することができる。
これは仙道が伝わったのではなく自然と月輪観や阿字観などの瞑想をしている内に気づいたものと思われる。即身成仏をした空海は大日如来と一体である。そうであるなら天照大神とも一体である。こうした観点を持つのが『大神宮本地』である。「大神宮」は「伊勢神宮=金剛界、胎蔵界」であることは言うまでもなかろう。そしてこうした感覚は日輪観として結実されたのである。こうして見るとタントラ密教との関係が言われる立川流もそうであるが、中世神道では人類の有する普遍的な意識ともいうべき集合無意識のレベルにまで入っており時空を超越してインドのタントラ密教や中国の仙道と同じ意識構造を探り当てていたと思われるのである。
他にも同展示には雨宝童子や摩多羅神の図像もあり、ひじょうに興味深い。中世神道という極めて興味深い「空間」を体感することのできる優れた展示であった。
(太陽光といえば最近、メガソーラーのことが話題になることがあるが、その多くは中国製であるらしい。中国で作られた文明の利器に太陽光を受けるというのは卑弥呼の時代の銅鏡と同じである。ひとつ時代が循環したということであろうか)