道徳武芸研究 「合気道は当身が七分」について

 道徳武芸研究 「合気道は当身が七分」について

よく植芝盛平は「合気道は当身が七分」と言っていたとされる。この言からすれば合気道の70%は当身であるということになる。しかし実際のところ合気道では「当身」の練習がされることは殆どない。形の中で形式的に「当身」をすることはあるが、それに大きな意義を持たせることもないようである。そうしたことから、これは「実戦の時の教え」であるとする解釈もある。合気道の実戦では「当身」を多用するとするのであるが、こうした解釈をしたとしても、また合気道で「当身」の教えが伝承されていないという困った事態がある。当身そのものは柔術では普遍的に存しているものの、これも合気道同様に特段、当身の稽古をすることはない。当身の教えでは急所となる部位(眉間、鳩尾、金的など)が伝えられることが秘伝としてあるにはある。こうした部位を打つのには打撃力は余り必要とはしない。重要なのはタイミングと角度である。そうであるから打撃力を付けるような稽古は本来、必要がないわけであるから、空手などの「突き」の練習のようなものは術理からして必要ないことにはなろう。柔術や合気道で当身の稽古がないのは、そうした事情にもよる。


そうしたことからすれば植芝盛平の言う「当身」は、単なる突きではなく「間合い」して理解しなければならない、ということも分かって来よう。つまり入身をする間合いで「当身」は行われるわけである。確かに「当身」を入身のタイミングとすれば、合気道のシステム上においても「当身の練習をしてない」とする矛盾の生ずることはない。また本来、柔術の当身は間合いの操作に使うものであり、これにより相手に物理的なダメージを与えることを第一義とはしていない。それは多くの当身が威力に劣る裏拳で行われることでも分かるであろう。重要なのは強さよりも、速さにあるので、より速く相手に達することのできる裏拳が用いられるようになったのである。そうであるとすると「合気道は当身が七分」というのは、合気道における間合いの重要性を教えたものと解釈できる。

古来より日本の武術は「間合い」を重視して来た。それは武術だけではない芸能一般においても間合いを知ることの重要性が説かれて来たのである。能でも歌舞伎でも複数の楽器が演じられるが、そうした時に指揮者は居ない。それは各人が他の人の間合いをよく感じて演奏するからである。「間合い」のことは「呼吸」「息」とも言われる。「呼吸が乱れる」「息が合わない」など全体の協調性の喪失を表現する言い方は現在の日常にあっても使われている。つまり「間合い」は「呼吸」であるから、植芝盛平の教える実戦における「当身」の重要性とは、まさに「呼吸=間合い」の力としての「呼吸力」ということになるわけである。座っての呼吸力養成法、そして呼吸投げを通して「当身」の力は養われているのであり、こうしたところにシステムとしての「当身」が合気道の中には確実に存しているのである。


そこで当身の威力であるが、井上鑑昭は当身に関して「こんにゃくて鉄板を叩き割る」等と言っていたとされている。これは「加速」の重要性を指摘するもので、これにヒントを得た江上茂は後に「柔らかい空手」を考案する。中国武術では打法には「硬打」と「軟打」の考え方がある。「硬打」は直線的に力を使う方法で、空手やボクシングなど、多くの武術はこの方法が用いられている。一方「軟打」は撓(しな)るように腕を使う打法で、中国武術では多くの門派でこの打法が研究された。

「硬打」「軟打」は技術的なことを言えば個々の門派でいろいろとあるのであるが、大まかに言えば空手は硬打に属する。柔術の裏拳を用いる当身は軟打であるといえる。江上が軟打の系統として空手を再編成した結果、従来の形とは大きく違ったものとなったが、それは本来の空手が硬打をベースとしたものであったからに他ならない。硬打のシステムから軟打のシステムに変更するためにはそのシステム全体の変容が必要となったということである。

(余計なことであるが、こんにゃくで鉄板を叩き割ることはできない。いくら加速を掛けても鉄板の強度にこんにゃくは耐えられないからである。鉄板に高速でこんにゃくを打ち付けるとバラバラになる。これは手刀で石や瓦を割る時に割れなければケガをするのと同じである)


合気道で硬打をよくしたのが塩田剛三である。演武ではよく脚の親指で弟子の足を踏んで激痛を与えるパフォーマンスをよく披露していた。また晩年は指先を相手の身体に付けるだけで投げ飛ばすようなこともしていたが、これは少々おおげさではある。ただ足の指に力を集中することができれば、指先でもそれは可能である。こうした合気道の硬打は体重の移動によりその力を得ている。体重を足の指や手の指に集中させることができれば塩田の行ったようなことも可能となるわけである。こうした力の集中の重要性を戦後、植芝盛平は「心身統一」という語で強調するようになったが、これは「呼吸力」と同じ意味である。

結局のところ「合気道は当身が七分」というのは「呼吸力」を使うということなのである。合気道における「呼吸力」は、始めに座り技の呼吸力養成法で、基礎を会得し、呼吸投げなどで更に鍛錬を重ねる(集中力をつける)ようになっている。この段階では「呼吸力=当身」は投げ技として鍛錬される。そして最終的に「呼吸力」は「当身」としても展開が可能となるのである。つまり合気道の実戦は巷間、言われているように「当身」として展開されるべきものなのである。


こうした予兆は既に富木流において既に見ることができる。富木の慧眼は、合気道の実戦展開が硬打の「当身」にあることを感じており、試合においても特に「短刀乱取り」を取り入れている。この短刀の動きを「当身」とすれば呼吸力をベースとした「当て技」の基本を習得することができるのであるが、富木流では合気道の形にとらわれてしまい、これを「当身」の稽古につなげることなく、間接技としてしまっている。合気道の入身を用いた「当身」は交差法によるものである。これは相手の攻撃に対して入身を用いるタイミングで拳や掌を「置いて」おく。そうするとそのまま相手に当たる。これが当身となるわけである。合気道の当身は柔術のような軟打ではない。硬打の当身であるのであるが、これは剣術の構えが出来ていなければ使えない。塩田が構えにこだわったのも、それが当身に通じるとの感覚があったためと思われる。

「合気」の実戦性を関節技に求めたのが大東流であった。盛平はそれに疑問を持って「呼吸力=間合い」を重視するものとして合気道を見出して行ったのである。そして、その道はひとつには「和合」の道として展開され、もうひとつには「当身」としてその展開が約束されることになった。システムとして合気道の「当身」は未出現であると言えるであろう。韓国のハプキドーは大東流を受け継ぐとしているが、確かに関節技を使うには突きや蹴りがなければならないことをそれは教えている。これは少林寺拳法でも同様である。そろそろ合気道は「呼吸力」という日本武術の間合いの精華を使うことによる「当身」の出現する時期に来ているのかもしれない。


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