道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」と「截腿」
道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」と「截腿」
八卦掌の腿法には「暗腿」や「截腿」というものがある。しかし、どの八卦掌にもあるというわけではない。八卦掌の源流である八卦拳にはそもそもそうした套路は存していない。加えて八卦掌の各派でも「暗腿」はあっても「截腿」がなかったり、「暗腿」はなく「截腿」があったりするし、その技の数も三十六や七十二など一定していない。そもそも八卦拳にこうしたものがないのは「暗腿」や「截腿」が攻防におけり「理」であり、特別な腿法(蹴り技)をいうものではないからである。つまり「暗腿」「截腿」で使われている技そのものは通常の腿法と変わりはないわけである。
八卦拳の術理からすれば八卦拳の腿法は全て暗腿となる。暗腿とは「見えない蹴り」の意で、近い間合いで突然に蹴りが放たれるのでこうした名称がある。一方、截腿は相手の出足をくじく蹴りである。また暗腿は相手の背後から蹴るものに限定していう場合がある。これは狭い意味で「暗腿」を使う場合である。ここでは以下、暗腿と截腿を分けて使っている。
八卦拳の歩法の基本は扣歩と擺歩である。扣歩は足先を内に向けるもので、擺歩は外へと向ける。また扣歩の「扣」には「留める」という意があり「扣子」はボタンのことである。扣歩はボタンを掛けるように相手の足首にこちらの足首を絡める。これは蟷螂拳などの掃腿と似ているが同じではない。掃腿は足払いであるが、八卦拳では払うことは目的としていない。触るくらいで止める。そして触れた感覚により最適な動きをする。また擺歩は踏み込むような蹴りで、相手の脛や膝を狙う腿法へと展開する。擺歩も触れた時の感覚によって最適な方向を感知してから蹴りを放つことになる。こうした腿法を行うには膝に力の溜めを作ることができるように練習をしなければならない。これが扣歩と擺歩の練習で八卦拳でも八卦掌でも入門時には長い時間をかけて練られることになる。
ブルース・リーは截拳道を創始したが截拳道の「截」とは「拳を止めること」としている。そうであるなら当然に截腿と同じ考え方の技法が展開されていることになるが、それに当たるものとしては「はシングル・ダイレクト・アタック(SDA)」が相当すると考えられよう。ちなみに截拳道は俗に「武」の字の成り立ちとされる「戈を止める」という説と同じ考えに立っている。それは武術の本質は攻撃ではなく、防身にあるということである。同じく武壇の系統の徐紀も自己の主催するグループを「止戈武塾」と称している。武術に技術以上の意味を見る傾向は近現代中国によく見られるが、それは日本の影響であるのかもしれない。
それはともかくシングル・ダイレクト・アタックでは前足、前手を有効に使って相手の動きを止めようとする。これは早く相手と接触するためであろう。八卦拳の截腿は「前足」の攻撃にこだわることはなく、死角から蹴ることを第一とする。これは絶対的な時間の早さではなく、死角を用いることで相対的な「時間」が早ければ良いと考えるからである。そのため八卦拳では相手の攻撃ラインから横に外れる七星歩が重視される。七星歩を用いての截腿では左構えであれば、相手が攻撃して来た時に、左足を左方向に踏み出し(扣歩)、右足の裏で相手の前足の脛や膝を蹴る(擺歩)ことになる。
一方、暗腿では玉環歩を用いるのであるが、この場合には左構えであれば右足を左斜め前方向に踏み出す(扣歩)。こうして相手の死角に入って左足を進めて背後に回る。そして右足で蹴る(擺歩)。これが暗腿である。つまり截腿と暗腿の技術的な違いは七星歩と玉環歩を用いるところにあるのであるが、そのベースになっているのは扣歩と擺歩なのである。八卦拳でひたすら円周上を歩くのは、扣歩と擺歩を練っているわけで、これを連続して行うと走圏となる。走圏は、それを練習する時に中心に樹木のあるところで練るのを良しとする。そうしたこともあって八卦拳の歩法が「相手の周りを回る」というように誤解されていることが多い。しかし、それは入身でなければならない。そうであるからこそ扣歩、擺歩が七星歩や玉環歩として展開し得るのである。
截腿は八卦拳だけではなく太極拳や形意拳でも用いられている。太極拳の截腿については陳炎林の『太極拳・刀・剣・桿・散手合編』に「単練式基本採腿法」として記されている(採は手偏より足偏の方が「踏み込む」という意味があるので適当である)。ここでは左掌で相手の顔面を当てて(撲面掌)、右手で引き倒して、右足で蹴るとしている。興味深いのはこの形は全く形意拳の狸猫倒上樹と同じである点であろう。太極拳でいえば、示されている図の形は摟膝拗歩ということになるが、ここで注意しなければならないのは蹴りが先に来て、その後で撲面掌が行われるという点であり、それは決して撲面掌から蹴りに入るのではないわけである。撲面掌から蹴りに入るのは暗腿であり、最初に蹴りで相手に接触してその出足を止めるのが截腿である。陳はこの技がひじょうに威力の大きいものであるとしているが、董英傑が南方へ太極拳の普及に赴く時に李香遠が実戦を心配して特にこの採腿の秘伝を授けたといわれている。このため董の套路には足を上げる動作が含まれている。また呂殿臣の伝える露禅架(老架)や呉家の快架にも多くこの腿法が含まれている。本来的に太極拳は截腿を多用していたことが分かる。
八卦拳における「暗腿」と「截腿」は玉環歩と七星歩のことであるが、それらは共に扣歩と擺歩で構成されているものであることを見出したのは八卦拳の優れた点であり、専らそれらを練る走圏は八卦拳(八卦掌)を代表する練法となっている。こうした歩法を練る時には明確に入身を練習していることが認識されていなければならない。そうでなければ入身を可能とする勢(間合い)をこれらの歩法で練ることはできない。ただ漫然と形だけを模倣しても何らの結果も生じはしないのである。古来より口伝が重視されているのも、こうした行為の意味を知らなければ練習をする価値が何ら生じないからであった。