道徳武芸研究 形意拳「七拳」訣と体の合気

 道徳武芸研究 形意拳「七拳」訣と体の合気

形意拳では「一身」に「七拳」を有するとの秘訣がある。また大東流では体のいたるところで合気を掛けることのできる「体の合気」が可能であるとする。「体の合気」は佐川幸義が言い出したもののようであるが堀川幸道も、よくそうした合気を使っていた。ここで述べようとするのは形意拳の「七拳」と「体の合気」とが共通するものであり、それらの根底には「合気」の根源としての「呼吸力」があるのではないかということである。


ちなみに「七拳」とは「頭、肩、肘、手、胯、膝、脚」である。こうした身体における七つの部位が「拳」となるというわけである。一般的に「手」と「脚」は攻撃部位として容易に認めることができよう。「肘」や「膝」もそれが攻撃に使われることは周知のことと思われる。「頭」はやや特殊であるが相手とごく近い間合いの時に鼻などを頭で打つことは有効である。「肩」や「胯」は体当たりである。これも中国武術ではよく行われるし、かつては竹刀剣道などでもこうした部位による体当たりは練習されていた。以上のようなことからすると「七拳」とはいっても特別な攻撃ではないことが分かる。そうであるのに、どうして形意拳ではこれを秘訣としているのか。それは打ち合いではなく、掴まれたり、抱きつかれたりする時の「離脱法」として、この七拳が使われるからであり、これらを有効に使うためにには瞬時に相手の中心軸を把握しなければならないので「高度な技」として秘訣扱いされている。相手の中心軸を把握してコントロールするのが「合気」であり、つまり七拳は「合気」が使えることを前提として考案されているのである。

形意拳では「硬打、硬進、人無きが如し」とする教えがある。「硬」とは「変化をしない」ということで、形意拳は一度動き出したら、相手がそれを防いでもそのまま攻撃を続ける。これが「硬進」である。そしてこの「硬進」を可能にするのが「硬打」なのである。これは八卦拳では「印打」と称する。印鑑を押すような打ち方ということである。一般的な打ち方は加速を付けて相手を打つのであるが、形意拳や八卦拳は相手に触れたところから加速を掛ける。これは相手に触れることで体の中心軸を捉えてから打つ方法である。こうしたレベルにおいて身体の七つの各部位で「合気」が使えれば、それは「体の合気」を使えたということができるのではなかろうか。


「七拳」が「体の合気」であるとするなら形意拳に「合気」に相当する技術があるのか、ということになるが、それには「束身」という方法がある。「束身」は「自分の身体の中心軸に力を集める」というものである。もちろん「束身」は形意拳の全ての動きに入っているのであるが、これを特に練るのが三体式である。三体式は二つの動作から成っているが、始めの擺歩の動きで身体を開き、次に進んで掌を打ち下ろす動きをする。この時に身体は「合」となる。こうした「開」と「合」の動きで内への勁(ちから)が養われるわけである。こうした「開」「合」を使った「合気」の鍛錬は、また日本刀の素振りとも等しい。日本刀では中段から上段に構える時に身体が開き、振り下ろす時に合となる。この時、形意拳でも剣術でも「呼吸」と動きが合一することが重要で、それにより勁が発揮される。

伝説によれば形意拳は岳飛が少林寺の壁の中に塗り込められていた「内経」を発見して考案したとされている。これは達磨の教えを封じたものとされ、イメージとしては後に少林拳となる「易筋経」や「洗髄経」よりさらに奥深い教えであるとする。同様なことは八卦拳でもあって『八卦掌使用法図説』とされる本の原題が『少林破壁』となっている。これも少林寺の壁に塗り込められていた八卦掌の秘伝を公開しているとする形である。こうした考え方はチベット仏教の「埋納経」によるものであろう。チベット仏教では偉大な僧が秘伝の教えを記した経典を山の中に埋めており、それが発見されたものとする経典がある。もちろんこれは史実ではなく、新たに提示する教えを権威付けるためのものに過ぎない。


形意拳の原形ともいうべき三体式と日本の剣術に「合気」の鍛錬という共通性が見られることからすると、人の心身の奥深くに何かそれらを貫く普遍的なものがあることが予想される。そうしたものは意識においては集合無意識とされて、実際は全く交流のない人々の神話や宗教において共通するモチーフのあることが指摘されている。そうして見ると「内経」なるものは、集合無意識のような人の意識の奥底に潜んでいる普遍的な心身のあり方を象徴的にいうものと考えることができる。

三体式でも剣術でも最後には呼吸と動作が一致する。それにより身体の中心軸へ力を集めるのである。そうして発生する内へと向かう「引力」が、相手と対した時には「合気」として展開されるわけである。つまり「合気」の根源にあるのは「呼吸力」であり、それにより自己の中心軸に力を集める感覚が養われれば、相手の中心軸を捉えてコントロールする「合気」も可能となるのである。

つまり三体式で「呼吸力」を練れば自然と「七拳」が使えるようになる。つまり「合気」が使えるようになるということである。ちなみに「体の合気」として、例えば肩を押して来る相手を肩を前後に動かすだけで「合気」を掛けて投げる、とする演武をよく見るが、「体の合気」は手による程、深くは掛からない。相手の中心軸を取ってバランスを崩すことは可能であるが、それを投げにつなげることはほぼ不可能である。演武で投げることができているのは、バランスを崩した状態を投げられる方があえて継続しているからに他ならない。通常はバランスを崩されたら、それを戻そうとするものである。「体の合気」であればすぐに修復することは可能で、それを次の動作につなげる程には相手に作用させられることはない。その意味で「七拳」というのは適当で一瞬、相手のバランスを奪うくらいの攻撃なのである。そうして相手の攻撃から離脱する。これあたりが「体の合気」としては現実的な用法といえるのではなかろうか。つまり形意拳の「七拳」の秘訣が教えているのは「体の合気」の可能性と限界なのである。


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