宋常星『太上道徳経講義』第六十七章
宋常星『太上道徳経講義』第六十七章
(1)聖人の道は、きわめて「大」である。道の本体は終始「一」である。
(2)それは至簡であり、至約(約は小さい)である。
(3)そうであるから道を単純に「大」きいものであるとは言えない。道の妙用は、いろいろであり、尽きることはなく、限られることもない。そうであるから「小」さいと言うこともできない。つまり「小」さいといっても、単に「小」さいのではないので誰も道を「小」さいと決めつけることはできない。
(4)「大」きいといっても、単に「大」きいのではないので誰も道を「大」きいと決めつけることはできない。
(5)道は「小」さいが、単に「小」さいのではなく、それは「大」なるものでもある。それは小さいといっても黍や米、玄珠(無為自然を象徴する「珠」極小であると共に極大であるとされる)に、小ささの三つの違いがあるのと同じである。こうして常に変化をするのが「天=自然」である。
(6)道は「大」きいといっても、単に「大」きいのではない。その「大」きさは「小」ささをも含んでいる。それは小さな月の中に山や海に似た影が見られるようなものである。鏡の裏に天地の形を見ることができるようなものである。こうしたことが意味するのは、あらゆるものを大きい小さいと決めつけることはできないということである。
(7)こうした至理(究極の道理)の実際には計り知れないものがある。
(8)文中にある「似ていない」とは、まさにこういった意味となる。もし人が道を大いなるものと決めつけたならば、それは道が分かっていないということである。
(9)つまり道とは何かに「似ていない」と同時に「似ている」ものなのである。
(10)それはけっして「似ている」だけに留まるものではない。もし、似ているだけであれば、あらゆるものが一定の形に固定されることになり、実に形が「虚」なる存在であるとはいえないことになる。
(11)「有」と「無」とは共に存することはできない。「小」と「大」はそれぞれが対である。
(12)天地の万物は集散しており、また離合もしている。変化、生成の妙にあってあらゆるものは一定の形に限定されるものではなくなってしまう。
(13)そうであるから「似ている」ところの「本来の形」を人は知ることも、見ることもできない。
(14)そうであるから老子は、そうした中に三宝の妙があるとする。
(15)道を修する人が知るべきは「似ていない」ところの「慈」「仁」である。
(16)その身を愛していれば、この身は死んでも全てが無くなってしまうことはない(肉体は滅んでも霊体は残る)。こうしたことが「倹(つつましい)」くあると同時に「倹」くは無いということである(肉体の滅びることは許容するが、霊体の永遠であることを認める)。
(17)ただ「大」なること(つまり「過剰」であること)を無くせば、人は疲れることがない。自然であり清く静かで居ることができる。
(18)はたしてこれはよく「謙譲」そのままとすることができるであろうか(実際には道による働きがなされているのであり単に「謙譲」であるわけではない)。
(19)つまりそれは道徳、自然と一体になっているに過ぎないのである。ここで老子が述べているのはこうした(道の実際の形はひとつに決めることができないという)ことである。
(20)この章では、三宝は世を救うものであり、後世の人にこの三宝を保っていれば、死地に入る(失敗する)ことはないことを教えている。
1、「天下」を皆は「我」であると言っている。道は大きいものであり、それは大きいともいえるしそうでもないともいえる。
(1−1)「天下」を皆が「我」と言っているというのは、天下の人はそれぞれが皆、自分のことを「我」と称しているということである。
(1−2)道は極めて「大」きなものであり、これを「我」として認識するとすれば、「我」は限りのあるものであり、卑しいものであり、曲がったものであり、劣ったものでもあるが、こうしたあらゆることが道として認識されることになる。
(1−3)道は本来的に限りのないものであって、言語をして形容することはできない。「大きいともいえるしそうでもないともいえる」とは、天下の全ての人が、むやみに道を形容したり強いてそれを決めつけたりすることができないことを言っている。そうしたことを老子は「『天下』を皆は『我』であると言っている。道は大きいものであり、それは大きいともいえるしそうでもないともいえる」とする。
【補註】宋常星は「天下皆謂我道大」を「天下皆謂我(天下、皆、我と謂う)」と「道大(道は大たり)」に分けて読んでいるが「天下、皆、我が道は大なりと謂う」と読んで「天下の人は皆『我が道は大きい』と言っているが、それは大きいともいえるしそうでもないともいえる」と解するべきであろう。
2、それはただ「大」きいとのみいう。そうであるなら、そうともそうでないともいうことになる。
(2−1)道は「大」なるものと決めつけることはできない。その広大さは、その限界を求めることのできない程である。形のあるものであれば限界を知ることができるであろう。そうであるから道も限りがあればそれを知ることは容易である。
(2−2)上は天で極り、下は地で限られる。その間にはあらゆるものが入っている。
(2−3)もし道でそこに含まれないものがあるとすれば、天と地の間以外にも道があることになる。
(2−4)もし道が天と地の間において収まっていれば、それは限界のあるものなので、ただ「大」きいとしても良かろう。しかし、そうではないので「そうともそうでないともいえる」とされている。
(2−5)老子は道は限界を明らかにすることができないとしているのであり、それが「そうともそうでないともいえる」という表現になっている。
(2−6)大いなる道は、その根本と実際において、道という語はよく知られていても、その本当の姿は明らかではない部分がある。そうしたことを「それはただ『大』きいとのみいう。そうであるなら、そうともそうでないということになる」としている。
3、その「大」きいということには長いということもある。細かい、といったことをも含んでいる。
(3−1)ここで述べられているのは、道の限りが見えないということである。
(3−2)「その」とあるのは「道」であり、ここでは道が言語をして形容しようとすることについて述べられている。
(3−3)そうして、つまりは「道」を言語をして形容しようとするのは、そうすることで人々が道の大体を知ることができるからである。
(3−4)道が行われているとは、つまりは道が働いているということである。そうであるから人々は道のあることの大体を知ることができるわけである。
(3−5)そうであるから「大」いなる道を知ることは難しくはない。耳をして聞くこともできるし、目をして見ることもできる。口をして話すこともできる。こうしたことを通して「道」そのものではないが「道」に近いことを知ることはできるのである。
(3−6)そうであるから「道」は長いということもできる。ただ道は無辺であり無限である。一方で見ることのできる範囲は限られている。そうした中に多くのものが存している。ただそうして認識することができるのは物質界にあるものだけである。
(3−7)そうした存在の形は(我々の認識できる範囲内にあるものであるから)「一」つの形とすることができる。
(3−8)しかし、それではあらゆるものの生成を説明することはできない。しかし、あらゆることをも含めて全ては「一」なるものなのである。
(3−9)つまり「道」は物的な存在を越えたものをも含んでいるわけである。そうであるから「細かい、といったことをも含んでいる」ということも不思議ではない。これは言語をして形容できない部分である。
(3−10)ここで述べられている「その『大』きいということには長いということもある。細かい、といったことをも含んでいる」とはこのような意味である。
4、我には三つの宝がある。それらを保持している。それは一に「慈」であり、二に「倹(つつましい)」であり、三に「あえて天下の先とならない」ということである。
(4−1)ここで述べられているのは「そのものではない」ということについてであり、それを具体的に明らかにしている。
(4−2)「道」そのものではないが、道がどのように働くものであるかを細かく述べている。
(4−3)つまり、人は「道」がどのようなものであるか、をそのままに知ることはできないのであるが、その実際がどのような働きをするか、はそれぞれ知ることが可能なのである。
(4−4)そのもっとも重要なことは「己」にある。つまり「己」を少しも離れることのないところに「道」の働きがある。「己」には三宝があり、それを保持している。
(4−5)それは「慈」に似ているが実際においては単なる「慈」ではない。そうしたことを(道の展開として)「一に『慈』であり」としている。
(4−6)「倹」も単なる「倹」ではない。それを「二に『倹』であり」としている。
(4−7)単に天下の「先」になるわけではない。それは上下、前後といった対立関係における「先」ではないのである。こうしたことを「『あえて天下の先とならない』」としている。
(4−8)老子は「慈」において天下をひとつの家のように視ている。万民を自分自身のように視ている。天下において一人でも生活できない人がいれば、その生活が成り立つように願う。一人でも満足を得られていない人がいれば、それがうまくいくように思っている。
(4−9)天下の全てが陶成(倭寇や反乱軍から民衆を救った明代の軍人官僚)の手に掛かれば万物は「生成の沢」に至る(生きる術を得ることができる)ことになる。これが「慈」の働きである。
(4−10)老子の述べている「倹」は、無為をして節約をするということで、天下の有為を無欲であることで道へと帰そうとする。
(4−11)天下の人は欲望によって行動している。そうであるから「細」かくして「大」なることを為すことはできない。そうであるから道によった「大」が為されるべきなのである。
(4−12)「賎」だけにこだわれば、それは「貴」ではないということになる。しかし「道」による「貴」であるならば(そこには「賎」も含まれることになるので)、天下は「倹」に帰することも可能となる。そうなれば世の人は欲望のままに奢侈となることはなく、民の心は自ずから「倹」へと収まって行く。そうなれば有為による欲望の生まれることはなくなる。つまり「倹」というものに帰するわけである。
(4−13)あえて天下の「先」とならないということは、他人の前に出ることのないこと、謙虚であることである。
(4−14)天下の事は「先」があれば必ず「後」がある。「後」があれば必ず「先」がある。ただ「道」においては「先」は自然に「先」となるのであって「後」は自然にそうなるのである。
(4−15)それは、あえて「先」となろうとしてそうなるのではない。もし、そうであるのであれば、それは「己」を「高」く見なすことになる。それは他人を「卑」しいと見ることになる。
(4−16)あらゆる事において他人に勝っていると考えていることになる。あらゆる場面で自分を強いと思うことになる。
(4−17)「先」を争い、何も考えずに進んでしまう。そうなれば多くの問題が生じるので、それは行うべきではない。そうならないためにも老子は三宝をよく保っておくべきと教えている。
5、そこで「慈」であればよく「勇」であることができ、「倹」であればよく「広」となるのであり、「天下の先」と成らなければ、よく「器の長」となり得るのである。
(5−1)ここで老子は、さらに説明を加えようとしている。三宝を持つことの意味を深く述べようとしているのである。
(5−2)「勇」は世間で言われているような命をも顧みないようなことでも、死をも厭わないといったものでもない。大いなる道の「勇」とは「慈」から生まれるものであり「勇」をして言うならば、民を憐れむ「慈」を基にした「勇」なのである。
(5−3)そうした「勇」は無為においてのみ行われる。あえて為そうとして行われる有為の「勇」ではない。
(5−4)「道」による「勇」は無形であり、あえてそれがどのようなものであるかを述べることはできない。
(5−5)あるいは軍隊を「勇」の形と考えるかもしれないが、軍隊によれば有形の「勇」を挫くことはできるかもしれないが、無形の「勇」を破ることはできない。
(5−6)有為の「智」にあっては、よく有為の「勇」を行うことができる。しかし、無為の「勇」を行うことはできない。
(5−6)しかし「道」によった無形の「勇」は、そこに「慈」が含まれているので、あらゆるものを救うのであり、あらゆるものに及んでいる。こうしたものは大いなる「勇」とすることができる。
(5−7)ここで述べられている「『慈』であればよく『勇』である」とは、おおよそこうした意味である。
(5−8)その「広」大であることは限りのない程であるが、そうした「道」も虚に始まる。
(5−9)大いなる「道」は「広」大である。そして、それは「倹」や「朴」の中から出ている。「倹」であって「広」大なのである。
(5−9)「道」の実際においては見えないものがあるのであるが、それは「倹」に含まれている「広」のことでもある。「倹」の中に「広」もあるわけである。
(5−10)天下のあらゆることを見ることのできる「目」があれば、その「目」は全てを見ることができるであろう。天下のあらゆることを聞くことのできる「耳」であれば、その「耳」は全てを聞くことができるであろう。天下のあらゆることを言うことのできる「口」であれば、その「口」は全てを言うことができるであろう。天下のあらゆることに思い及ぶ「心」であれば、その「心」は全ての場面で正しい判断を下すことであろう。文中の「『倹』であればよく『広』となる」とは、こうした意味である。
(5−11)「器」とは、天下のあらゆるところに及ぶ「器=才能」のことである。これによれば天下に「名」を立てることができる。
(5−12)およそ世の人は、これを用いていて離れることはなく、常にこれを借りている。
(5−13)あらゆる人にあらゆる場面で用い、借りられるというのは、その「器」なるものが無形であるからである。
(5−14)人に先んじて創られるたものは天下における後世の基準となる。
(5−15)それは我の「智」の中にあるものであり、こうした「道」による「智」を借り、用いることは、つまりは天下のあらゆるところに用いることのできる「智」でもある。これは全ての人に共通の「智」でもある。
(5−16)「斂己(自分を見つめること)」は、人の行うことのできる「能」である。それは、また「道」によるものであるから、つまりは天下のあらゆる人にも通じる「能」である。
(5−17)全ての人の「能」でもあるこうした「能」を使っていれば、あえて人の「先」に立とうとは思わない。自分も他人も「一」つになっているからである。
(5−18)誰もが共に喜び、そこには例外となる人は居ない。そうであるから「一」とされるわけである。あらゆる人が「一」人へと帰する。そうなれば個々人による隔たりはなくなる。除外される人は居なくなる。個々人の違いは消えてしまい個々人の誰の「才能=器」がよく「長」となることはないのである。あえて「先」となって「長」となることはないわけである。
(5−19)ただ「道」による「器」を実践していれば人の「先」に立とうとは思わなくても、よく「長」となることができている。文中の「『天下の先』と成らなければ、よく『器の長』となり得る」とはこのような意味である。
6、ここで「慈」を捨てて「勇」である、「倹」を捨てて「広」であり、「後」ことを捨てて「先」となる、とすれば、それはうまく行かないこと(死地)になる。
(6−1)ここに述べられているのは今も昔も変わらないであろう。ことさらに失敗の道を示して、これを戒めているわけである。
(6−2)「ここで『慈』を捨てて『勇』である」とは、つまり「不慈の勇」であることである。これは「ただ強いだけの勇」とも言える。
(6−3)「『倹』を捨てて『広』であり」とは「不倹の広」である。これは「虚大の広」でもある。
(6−4)「『後』ことを捨てて『先』となる」とは「先の先」を争うことである。これは我先を争うことでもある。
(6−5)これら三つは三宝とは反対である。大いなる道に反している。
(6−6)こうしたことをして身を修め、家を整え、国を治め、天下を平らかにしようとするならば、それは全て生を軽んじて失敗へと至る道ということになるのであり、聖人の行うところではない。
(6−7)こうして老子は失敗を戒めているわけである。つまり今その「慈」を捨てて「勇」であり、その「倹」を捨てて「広」を、その「後」を捨てて「先」となれば、ただに失敗へ至るのである。こうした深い教えを説いているわけである。
7、「慈」を保持して戦いに臨めば、つまりは優位にあることができる。守って堅固であることができるからである。つまり天が救ってくれるのであり「慈」をして衛るのである。
(7−1)ここでは聖人の「慈」を総括している。それは天との合一である。
(7−2)「慈」とは、救うということである。詳しく言うならば、それは天地は五行(の理)をして動いているのであり、乾坤(の理)をしてものを育てているということである。
(7−3)造化の働きによって万物は存在している。この全ては「天地の仁心」によっている。
(7−4)「天地の仁心」とは全く「一」なる「慈」である。
(7−5)聖人は五常(仁、義、礼、智、信)をして人倫を定めた。そうして「善」が人の本来の心のあり方である「性」によっていることの「理」を明らかにしたのである。
(7−6)これらは皆「聖人の心徳」であり、これらは全く「一」なる「慈」に帰するのである。
(7−7)そうであるから聖人の「慈」は「天地の慈」と同じ「一」なる「理」によっていることになる。(7−8)聖人の「慈」は、上は天と感応しており、下は地と共に動いており、中には人に応じている。
(7−9)それは怒ることなく威を示すものであり、戦うことなく勝ることのできるものである。争わずして先となり、為すことなくして成してしまうのである。
(7−10)これらは皆「慈」によって為されている。
(7−11)「戦」は聖人においては止むを得ずして応じるものである。聖人は本来的に戦って勝とうと思うことはないからである。
(7−12)一般に人が「戦」う時には兵をして戦うことになる。「守」る時にも兵をして守ることになる。しかし聖人の「戦」いは「慈」をもって行われる。聖人の「守」りも「慈」をもってなされる。そして勝ちを求めずして勝るのである。
(7−13)一般に兵を用いてはこうした聖人の戦いに勝つことはできない。それは「慈勇の兵」をして聖人は戦っているからである。つまり「徳」をして勝っているのである。そうであるから、それに対して兵をしては勝つことができないのである。文中に「『慈』を保持して戦いに臨めば、つまりは優位にあることができる。守って堅固であることができる」とはこうした意味となる。
(7−14)また「天が救ってくれるのであり『慈』が人を衛る」で「救」うとは助けるということである。「衛」るとは、保護するということである。
(7−15)聖人にあって「戦」「守」はやむを得ない時になされる。天は「生」を好むものである。そうであるから往々にして戦うことなく救おうとする。聖人は天と思いを「一」にしている。そうであるからよく天の「生」を助ける働きと「一」つなのである。つまり、よくこれを「慈」をして「衛」るのである。
(7−16)ここにおいて「戦」「守」をして人に勝つのは「善」による。天はあらゆるものを救おうとする。聖人も「慈」をして「衛」ろうとする。
(7−17)ここで見るべきは大いなる道は無為を貴ぶということである。謙虚を貴ぶということである。ただ聖人は三宝を保持してよく天の働きと同様に動くことができる。もし「慈」を捨てて「勇」であれば、「倹」を捨てて「広」であれば、「先」を争うを「長」とするならば、これらは死地に入ることになる。そして、それが「大」でありあらゆるところに及ぶ「道」と等しくあることが無ければ、どうして道と似たような働きをすることができるであろうか。
【補註】この部分は「慈」をもってすれば「戦えば則(すなわ)ち勝ち」「守れば則ち固く」と読まれる。そして、そうしたことが可能であるのは天が救ってくれるからであり、「慈」をして対すれば「天」が衛ってくれると解する。ただ、これでは単なる「迷信」となる。「慈」をもって戦いに臨むとは、戦いそのものを成立させなくさせることであり、それは攻撃をしないで相手の攻撃を発動させなくさせることである。守りが固いのは「慈」により相手のことをよく知っているからである。「慈」とは相手をよく理解しようとすることに他ならない。そうした情報戦で勝っていれば思ってもいないような争いを回避する方法(天の救い)も見いだせるものである。「慈」をして衛るとは「合気」ということでもある。合気道を通常の武術と同様に攻撃的な技術に解釈しようとして大いなる矛盾に陥っているケースが少なくない。合気道や太気拳はまさに「慈をして衛る」ための実際的な方法である。
〈奥義伝開〉ここでは「道」を二つの側面から説明している。それは「大」と「慈」である。これを簡単に言うならば天地の間に働いている「法則=道」は普遍的(大)であり、また生成の働きを妨げない(慈)ものであるということになる。しかし、一方でそれは単なる「大」ではないし、単なる「慈」でもないものでもある。こうした「道」が多岐にわたる側面を持つことは『老子』の冒頭に「本当の道は一般に考えられているような道ではない」としていることでも示されていた。
中国では複雑な現実を表現するのに、おおまかな語で一応、代表させて、細かなことは口伝によるとする。太極拳における「柔」や「静」も同様である。ただ「柔」を力を抜くことと考えてしまうと「浮」いているとされるし、ただ「静」であると「軽霊(滞りのない動き)」でないと言われるであろう。また「勁」や「内功」も、その意味する具体的なことは形意拳と太気拳では全く同じではない。こうした中国の文化的な背景を知らないと誤解したまま修行を続けることになる。一方で日本ではこうしたことは「口伝」として全く表現しようとしない。正しく表現できないことは言わなくても良いということなのであろうが、ただこれでは全く手がかりがないので誤解もないかもしれないが、全く実態が掴めないことになってしまう。