丹道逍遥 クンダリニー・ヨギ二ーとしての弁才天
丹道逍遥 クンダリニー・ヨギ二ーとしての弁才天
弁才天の頭部には宇賀神という蛇体人頭の神が乗っている。しかしインドで生まれた神格である弁才天(サラスヴァティー)は琵琶(ヴィーナ)を持つ女神である(持ち物は琵琶以外である場合もある)。弁才天は密教では天部とされるカテゴリーに属する神格で、そこにはインドで信仰されていた多くの神が配されている。これらの神々の中で弁才天や大黒天、毘沙門天などが日本では特別に信仰されるようになった。弁才天は川を神格化された神であるが、おそらくは川のせせらぎの心地よい音(妙音)が、琵琶などの優れた演奏と同値されて芸能の神として信仰されるようになったのであろう。こうしてインドで信仰されていた弁才天は日本では密教化した八臂の姿(八臂弁才天)として多く信仰されたようである。こうした八本の腕を持つような形は中国では好まれないが、日本では他にも多く密教的な形での信仰が人気を得ていた。また「水」の神としての弁才天は、同じく「水」の神としての宇賀神との親和性はあったといえる。蛇(みづち)の「み」は「水」、「つ」は「の」、「ち」は「霊」ということであるので蛇は「水の霊」の力を象徴するものであったわけである。蛇体人顔の神としては中国神話の伏羲(ふくぎ)がいるが、宇賀神の神の形がどこから来ているのかは明確ではない。本来は普通の女性の姿であった弁才天が八本の腕を持つ形で信仰されるようになり、さらには宇賀神が乗る形になって行くわけである。こうした弁才天の姿の「変容」はどうして生じたのであろうか。
クンダリニー・ヨーガでは会陰のあたりにあるムラダーラ・チャクラにクンダリニー・シャクティが潜んでおり、それを覚醒させることが目的とする。またクンダリニー・シャクティは蛇の形で女性原理(シヴァ神の妃)とされている。一方で宇賀神は同じく蛇体ではあるが老爺の顔であるので男性原理であることが示されている。この違いは、どう理解されるべきなのであろうか。おそらくこれは修行者が男性か女性かによる違いであろう。クンダリ二ーの覚醒は自己における女性原理と男性原理の融合を行うことである。そうであるから男性の修行者は女性原理をクンダリニー・シャクティとして覚醒させることになるのであり、一方で女性の修行者である場合には男性原理としてのクンダリニー・シャクティが覚醒されることになる。宇賀神弁才天はクンダリニー・シャクティが覚醒してサハスラーラ・チャクラまで達した状態を表している。中世の日本にクンダリニー・ヨーガが伝わったとも思えないので、これは修行の過程でクンダリニー・ヨーガと同じ体験をした人が居たということなのであろう。また心身の安定を保つ方法としては女性原理と男性原理の融合がテーマとされことは、あらゆる神秘学に共通して見られることでもある。
蛇と弁才天の関係では天河曼荼羅が有名であるが、これは完全に弁才天が蛇体となっている。こうなるとこれはクンダリーニの覚醒を表しているとは思えない。重要なことは女性原理と男性原理の融合なのであり、ただ蛇体であるだけでは意味がない。こうした関係性を完璧に表現しているのが宇賀神弁才天なのである。これはクンダリーニ・ヨーガで達成されたとの同じサマーディを得ていた人が居たことを示しているといえるであろう。さてそうした高度なサマーディに達した人物はどこに居たのか。弁才天信仰は竹生島や江の島、宮島が三大弁才天としてあるが、この中で龍蛇にまつわる伝説があるのは江の島である。『太平記』では北条時政が弁才天を感得した時、それが大蛇となって海に沈んだと記している。そして三枚の鱗が残ったので北条氏の家紋が三つ鱗となったという。こうした背景からすれば宇賀神弁才天が感得されたのは江の島であり、江の島にクンダリニー・ヨーガのサマーディと同じ体験をしてビジョンを得ていた秘教集団がいたものと思われるのである。
神秘的な融合体験の根本に男性原理と女性原理の合一があることを指摘したのはユングであった。そうであるから女性の修行者は男性原理との融合を体験するのであり、男性であれば女性原理との癒合を体験する。クンダリニー・シャクティが女性とされているのは、修行者が専ら男性であったためであろうことは既に指摘をした。また年老いた男の顔を持つ宇賀神を頭頂に置くのは「老賢者」を表すもので、知性と若い女性が融合することで知力、体力の理想的な融合を示してもいる。ヨーガでは集中(ダラーナ)と三昧(サマーディ)とがあり、集中ではチャクラへ意識を集めてそれを幻視する。チャクラはもともとあるものではなく修行者が自分で作り出すものである。そうであるから集中をしなければならない。チャクラを幻視している状態は精神的には不正常な状態である(見えないものが見えている)。しかし体の本来の働きとして不正常を正常へ戻そうとするので、一定程度の不正常な状態が進行すれば、正常に戻そうとする動きが生まれる。これが「クンダリニーの覚醒」である。そして、その後はチャクラなどの幻視は消えてただ梵我一如の三昧という安定状態(無念無想)が訪れることになる。宇賀神弁才天が示しているのはそうした精神の安定であり、そのために宇賀神は下腹部ではなく頭頂にあるのである。
どうやら中世の関東にはクンダリーニ・ヨーガのような高度な精神文化が開花していたようであるが、その拠点のひとつに江の島があったと思われる。先にも触れた『太平記』の北条時政が弁才天を感得した話では弁才天と蛇との関連が明確に示されているわけであるが、この時にはまた時政が「箱根法師」の生まれ変わりであるとも弁才天から告げられている。「箱根法師」とは万巻のことで八世紀ころの人とされ箱根権現を感得したという。箱根権現は女性で、万巻は近くの芦ノ湖の九頭龍をも調伏したと伝えられる。万巻について歴史的に確実なことはよく分からないが、万巻伝説には女神と蛇は出てくるものの融合には至っていないようである。こうしたことからしてもクンダリーニ・ヨーガ的な高度な域に至ったのは江の島あたりの秘教集団であったことが推測されるわけである。
また関東には有名な立川流もあった。これは突如、中世の関東といういわば「僻地」に現れた「タントラ密教」とされるが。それがどのようにして形成されたのかは、関東という史料の希薄な地域であったこともあって明らかではない。ただ関東には金沢文庫があり、そこは「知の宝庫」であった。こうしたことかを考慮に入れれば中世の関東に一定の情報は確実に集まっていたことが分かる。立川流は東京の立川あたりで行われていたために、その名があるともされているが、ちなみに金沢文庫に多くの文書を残す剱阿は「武蔵国立川蓮念」と記す文書を残している。これにより「立川」が東京の立川ではないかとされているわけである(蓮念は立川流の実質的な創始者とみられる)。また中世の関東には「彼の法」と記される髑髏を本尊とするような謎の秘教集団もあったようである。このように中世関東にはいろいろな秘教集団があったらしいのである。そのひとつが江の島に拠点を持っていたといえるのかもしれない。ユングも指摘するように奥深い心にあるイメージは人類に共通している部分も少なくない。そうであるなら中世の関東でインドで開花したクンダリーニ・ヨーガに等しいイメージを得ることも可能であったのではなかろうか。現在「性」的な部分のみが強調される立川流にしても、それが示しているのは女性原理と男性原理でそれは高度なシステムとして構築されたものではなかったろうか。既に知られている史料も見方を変えると別なものが見えてくる。そういった意味では古い史料からも新たな知見を得ることは不可能ではないのである。