宋常星『太上道徳経講義』(51ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(51ー6)

つまり万物にあっては、道は尊重され徳は重視されている。道を尊重し、徳を重視するのは意図して行われることではなく、常に自然になされている。

万物の「形」は全て「道」や「徳」によって作られている。万物が生まれるのは「道」や「徳」があるからである。つまり「道」や「徳」は「万物の父母」なのである。万物は尊重されるべき存在である。それは万物が天の気を集約して、地の働きによって形を得ているからに他ならない。それは意図することなくして、造化の働き、陰陽の変化によって、そうなっている。こうしたことを「道」を尊重して「徳」を重視すると言っている。そうであるから「つまり万物にあっては、道は尊重され徳は重視されている」とあるのである。万物は「道」を尊重し「徳」を重視するが、「道」や「徳」はそうしたことにこだわりを持つことはない。また万物にあっても何らかの意図があってそうなっているのではない。ただ自然にそうなっているに過ぎない。それぞれの物にはそれぞれの性質がある。そしてその性質のままに働いている。誰が命令することがなくても、万物は生まれ、(天地のエネルギーが)蓄えられ、形を持って、それぞれの性質の働きを成している。これが自然の計り知れない働きである。そうであるから「道を尊重し、徳を重視するのは意図して行われることではなく、常に自然になされている」とされている。


〈奥義伝開〉人が見出した「徳」はあくまで自然の中に存しているものであると老子は教えている。そうでない「徳」は本来の「徳」ではないということである。かつて王権神授説などもあったが、こうしたものは間違った「徳」といわなければならない。また生まれによって特別な人の居るということも全くの妄説である。孫文は清朝を倒して民主的な共和国を建設しようとしたが、死後は中山陵という皇帝陵に等しい墓に埋葬されてしまった。これは孫文の思想に民衆が付いて行けなかったことを証している。共和国の時代になっても皇帝の居る時と多くの人の意識は変わり得ていなかったのである。


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