道徳武芸研究 八卦拳と「自然歩」(4)

 道徳武芸研究 八卦拳と「自然歩」(4)

太極拳が実戦でゆっくり動くことがないのと同じで、八卦拳でも実戦でショウ泥歩の「形」にこだわることはない。実戦では練習形を離れて自由に動けるようにならなければならない、とするのが変架子である。そうであるから変架子では歩法というものもなく、まさに自然に歩みを行う。しかし、八卦拳をよく知る人が見れば、ただ普通に歩いているように見える動きの中に、確実に「平起平落」「扣歩、擺歩」の働きを知ることができるであろう。これはかつて行われた呉公藻と陳克夫との試合を、太極拳を知らない人が「ただの打ち合い」としか見られないのと同じである。またくずし字も、デタラメに書いたものと、草書や行書の崩し方によって崩した字との区別が書法を知らない人には分からないようなものである。書法もその究極においては自然であることを良しとする。技工を見せないで、そこに何か感じるもののある字が良いとされるわけである。八卦掌の「自然歩」はそれ自体はまちがいではないが、ただ「自然歩」だけを練習しても、ショウ泥歩の核心を得ることはできない。こうしたところに武術の伝承の難しさがある。


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