宋常星『太上道徳経講義』(51ー4)

 宋常星『太上道徳経講義』(51ー4)

物は形を持っていて、

「道」が生まれて、「徳」が蓄えられているところで、万物は「形」を持つことになる。万物は名を持つことになる。これらは全て無形の中から生み出されている。物が生み出されると、それは「形」を持つことになる。これが「至道の理」である。こうした理は万物に関係しており、万物が「形」を持たない先にあって、至徳の働きによって「形」が生まれる。いまだ万物が「形」を得ていない時、既にその「形」は至徳によって決まっているのである。それは万物が「道」と「徳」によって「形」を成しているからに他ならない。そうであるから物を見れば「道」のあることが分かるのであり、物を見れば「徳」の働いていることが明らかになるわけである。こうしたことを「物は形を持っていて」としている。


〈奥義伝開〉この世の存在の中から「道」つまり道理を見出すことで、人はいろいろな有効な働きの原理である「徳」を知ることができる。それが「善」であるなら、次には「善」を実現するための「形」が必要となる。「専守防衛」という「徳」は見出されたが、それを実践するための「形」はいまだ充分に構築されたとは言い難い。平等も政治的な平等は普通選挙で、経済的な平等は累進課税で、実現されようとしているが、いまだ完全なる平等には程遠い現状がある。「柔」は老子の見出した「徳」のひとつであるが、それが「形」を得るには太極拳の出現を待たなければならなかった。このように「道」「徳」「形」はそれぞれに時間が掛かって見出され、構築されて来たものなのである。


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