宋常星『太上道徳経講義』(51ー3)
宋常星『太上道徳経講義』(51ー3)
徳は蓄えられるものであり、
「道」は本来は無形である。「徳」も本来は一定の形を持っては居ない。「徳」は「道」の働きであって、「道」のあるところには「徳」も存している。つまり「徳」とは「道」に実践が蓄積されることで、形として現れているものなのである。物は「道」を得ているので、その形は「徳」を持っている。つまり「徳」は物に蓄えられているのである。つまり「蓄」とはこうした意味であり、天地万物にあって「道」によらないで存している「徳」はないのである。「徳」を持たない物はないのである。「蓄」とは積み重ねることであり、そうすることで形は働きを持つようになる。飛んだり、潜んだり、動いたり、動かなかったりして、物は生生を繰り返している。つまり「徳」とは、そうした働きを養うことなのであり、それは自然にあっては限りなく行われている。そうであるから「徳は蓄えられるものであり」とされている。
〈奥義伝開〉「徳」として表されるものには、いろいろな道理・法則がある。「善」もそうであるし「自由」「平等」もそうである。また「仁」や「儀」、それに「兼愛」(墨子が唱えた全てを愛せよという教え)や「慈悲」もそうである。また科学の法則もその中に入る。こうして「徳」は蓄えられて、それを学ぶことで人は本来の姿を取り戻すことができるようになる。現在、どこの社会も自由や平等などを完全に実践し得てはいない。そうしたものを実現するためにまだ発見しなければならない道理(道)が残っているのであろう。