道徳武芸研究 フラヌールとしての八卦拳(4)

 道徳武芸研究 フラヌールとしての八卦拳(4)

武術のひとつの技法である入身を歩法と等しくし得たのは八卦拳だけであるが、孫禄堂の『拳居述真』には師の程廷華の教えとして八卦拳の円周上を歩く稽古を「口に南無阿弥陀仏を唱えるように」という教えのあったことが記されている。これは天台宗で行われている常行三昧をいうもので、現在でも天台宗では阿弥陀仏の周りを不眠不休で念仏を唱えながら巡る修行が行われている(かつて、八卦拳の起源が道教の祭祀である転天尊にあるとされたが、転天尊はおそらくは常行三昧から生み出されてもので、天尊のまわりを巡る修行法である)。要するに程廷華の教えは円周上を歩いている時にある種の「三昧」の境地に入ることを言わんとしたものと考えられるわけである。フラヌールとしての八卦拳修行者は「三昧」に入ることで、通常の意識状態を超えたレベルでの入身を実現させようとしているわけである。かつて王樹金は、公園で八卦掌を練っていたが、買い物に出た人がその姿を認めて、帰りにも同じく円周を巡る様子が認められたという。やはり王もある種の「三昧」の境地に入っていたのではなかろうか。王樹金も「フラヌール」であったのかもしれない。


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