宋常星『太上道徳経講義』(51ー2)

 宋常星『太上道徳経講義』(51ー2)

道は生み出されるものであり、

「道」とは無極であり太極でもある。先天の先にあるものであり、それより更に先には何もない。また「道」は後天の後にあるものでもあって、これより更に後にあるものはない。本来的には名も象(シンボル)も持つことはなく、それを具体的な姿として捉えることはできない。そうしたものに強いて名を付したのが「道」なのである。そうであるから「道」は造化の枢軸であって、物質の根底でもある。万物の始まりに先んじてあるものであり、万物の終わりの後にも存している。それが「道」なのである。


〈奥義伝開〉「道」とは自然の中から人が見出した道理・法則である。これは自然科学では法則として見出されて来た。自然の中にはいろいろな法則があるが、人がそれを発見しなければ道理を生み出すことはできない。言うまでもないことであるが、自然の法則は人が見出さなくても、存して働いている。しかし、法則を見出さなければ、人はそれを使うことはできない。武術も人の取り得る動きの中からしか、その道理を得ることはできない。そうした中から有効な攻防の動きを見出して、一定の形を作ることになる。形のベースに則(道)のあることを理解することなく、単に形だけを練習しても得るものは少ないといえよう。


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