宋常星『太上道徳経講義』(50ー8)

 宋常星『太上道徳経講義』(50ー8)

軍隊に入っても、戦いに出させられることはない、と言う。

【軍隊に出会っても、害せられることはない、と言う】

歩いていて獣に遭遇することがないだけではなく、また軍隊に出会っても害されることはない。軍隊と遭遇することはなかなかに無いことであるが、ただ善く生を得て道を分かっている人は、そうした状況にあっても問題はない。どうであっても害せられることはないのである。どのような大軍でも、どのような厳重な装備の軍隊であっても、そうした軍の害にあうことはないのである。一方で善く生を得ている人ではなければ、軍隊を退けてしまえる術を用いたり、軍隊を制する術を用いたりしなければなるまい。ただ、こうした人は善く生を得ている人とすることはできない。心は常に清静で、周囲の人と争うことがない。そうした人は例え軍隊に遭遇しても、軍隊の長官は親しくその重んずべき人であることを理解してくれ、兵たちもその徳を慕ってくれるであろう。そうして畏敬の念をもって遇されるので、その人が害せられるようなことはないのである。そうであるから「害せられることはない」とあるのである。


〈奥義伝開〉ここで宋常星は前の猛獣との遭遇に合わせて、軍隊との遭遇をいうものと解釈しているが、普通に読めば軍隊に入っても戦場に出されるようなことはない、という意味である。個人が軍隊と出会って云々というのは場面としても考えにくい。要するにどのような窮地に至っても、生き抜くことができる、ということを古くからの言い伝えは述べようとしているわけである。武術もその力をあまりに得てしまうと、それを使いたくなって、自らを滅ぼすことになりかねない。太極拳が優れているのは、強くなり過ぎないシステムであることにもある。これは日本の武術で試合を禁じているのも同様である。極論すれば「無敵である」と思った時、その人は既に「死」にとらわれているといえるであろう。


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