道徳武芸研究 「呪物」と套路〜形、功、法の視点から〜(4)

 道徳武芸研究 「呪物」と套路〜形、功、法の視点から〜(4)

中国大陸では「武術(ウーシュ)」なるものが公案されて、従来の武術を床運動のようなものとして評価することがなされている。こうした中で優れた選手は運動能力も高いが、武術の動きとしては、やはり「違和感」がある。それは動きに「法(攻防の理論)」が伴っていないからである。「法」が無ければ、それに準じた「功」を練ることもできない。結果として「形」にも攻防の間合いが失われるので、武術を知っている者からすれば「違和感」を覚えてしまうことになる。「法」がなければ、どのような鍛錬をして良いのか分からなくなる。鍛錬の方向性が適当でなければ、適切な「功」を積むことができないので、「形」も適正を失ってしまう。こうしたことは「武術」ではよく起こっている。空手なども個々の「形」がいろいろな地域で伝承されていたため、当然にその背景となる「法」も違っていたのであるが、それが本土に伝わる時に「一緒」になってしまった。結果として空手としての統一的な「法」が見出しにくくなっている。そうしたこともあって、かつては中国の南拳なども参考にされてなんとか「法」と見出そうとする試みもあったが、南拳もそれぞれに「法」があって一つではない。おそらく空手でこうした矛盾を解決するためには「法」を同じくすると思われる「形」を分類して、かつての村々で練られていたように一つか二つの「形」だけを最終的には練るようにするべきであろう。中国では少林拳などはそうしたやり方で指導者となる以外の人は自分の気に入った一、二の「形」のみを練習している。このように形、功、法はそれぞれが密接に関係しているので、よくそれを弁えて練習をして行かなければならない。


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