道徳武芸研究 沖田総司の三段突きと「八寸の延金」(4)
道徳武芸研究 沖田総司の三段突きと「八寸の延金」(4)
子母澤寛の『新選組遺聞』には沖田総悟の平星眼は「殊(こと)に目立って剣の先が右寄りになっていた」とある。また「刀を平らに寝せて、刃は常に外側に向け」ていたともされている。つまり中段の構えが相手に対して刀が切っ先の「点」で対するのではなく、横に寝かせて「三角」とし、その底辺が作る幅を得ることで自分の身を防御しつつ突ける体勢を確保しようとしたものと思われる。それに沖田は「三角」の底辺部分をさらに広くしていたことは「殊に目立って剣の先が右寄り」であったとされるところからも分かる。つまり沖田は刀で自己を防御しつつそのままの形で継足を用いて突いていたのではないかと思われるのである。これは攻防一体となった形であるといえる。八寸の延金は八寸(24センチ)くらい伸ばす、つまり間合いを縮めることができたということであろうからこれも継足の応用であると思われる。槍や矛の継足は始めに槍や矛を突き出してそれに足がついて来る。一般の剣術のように踏み込んで切って足を寄せるというものではない。先に武器が動くので間合いを一気に詰めることができるわけである。こうしたあたりに技術的な有利さがあったのではなかろうか。ちなみに形意拳の梢節(手)から動くというのも、槍と同じく拳が先に動くことで継足を導くところに特色がある。