道徳武芸研究 大東流と集合無意識(5)

 道徳武芸研究 大東流と集合無意識(5)

集合無意識が、どうして不特定多数の人に共通の感覚を抱かせるのか。それは「元型」というものがあるからであるとされている。つまり人類には共通した意識のパターンがあって、同じような反応をしてしまう、というのである。そのため神話や宗教のシンボルなどには普遍的な「型」があるのであり、そうした根源的な「型」を「元型」と称している。日本の武術における「元型」は「柔=和」にある。これは聖徳太子の憲法十七条の頃から争いが起こるのは「和」が無いからであるとされていて、この「和」は「やわらかき」と読まれていた。つまり「柔」であるということである。そこでさらに具体的に神話や説話の中にこうした「元型」がどのように展開しているのかを見てみよう。それにはタケミナカタの神とフツヌシの神の争いの場面と、ヤマトタケルとクマソタケルとの争いのシーンが挙げられよう。ちなみに佐藤金兵衛は『柔と拳と道』でタケル固めなる技の伝授を暗闇の中で受けたとしている。このタケル固めはヤマトタケルがクマソタケルを制した時の技らしい。ちなみに暗闇というのは、かつては神の出現するのは暗闇の中であるとして、かつては祭祀を暗闇の中で行っていたことに関係しているようである。こうした話はなかなかファンタジーとしておもしろい。昨今、流派の由来を語る(騙る)人が多いが、安易に大東流や中国武術に結びつけるのは知性の無さが露呈して悲惨でさえある。もう少しマニアックな深みが欲しいところである。


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