宋常星『太上道徳経講義』(41ー7)
宋常星『太上道徳経講義』(41ー7)
「道」は知る者は知らないように見える。
「道」を明らかにしようとする人は、巧みな知恵を用いてはならないし、先入観を持ってもいけない。ただ人の心の本来的なあり方(性)によるべきであり、分析などの知恵をして知ることのできるものではない。そうは言っても「道」を理解するのに、全く言語を用いることを否定してしまうものでもない。また「道」を実践しようとする時に他人が自分をどう思うかにとらわれることはない。それはあたかも愚鈍な者のように振る舞い、何も分かっていないようにも見えるものである。そうであるから「『道』は知る者は知らないように見える」とされている。
〈奥義伝開〉ここでは「明」と「昧(くらい)」とが対比されている。「道」にはこの二つの面があるというわけである。ただ本来の「格言」は「知る者は愚者の如し」といったところであったであろう。しかし、老子は「明」によれば自ずから「昧」が現れることの教えとしていると思われる。「道」は無極であり、何らの偏りもない。しかし一旦「明」に偏れば、そこには「昧」が出て来ることになる。これを逆に言えば「明」も「昧」にも限定されないのが「道」なのである。