宋常星『太上道徳経講義』(38ー11)

 宋常星『太上道徳経講義』(38ー11)

つまり正しい人は安定した境地にあるのであり、不安的なところに立つことはない。着実なところにあって虚飾を好しとしない。

ここで述べられていることは、これまでの教えのまとめというべきことである。正しい人が道を見る時には欲望を交えることはない。理を中心に動くのであり、自分を中心に動くことはない。この世に立つのは道によっていて、迷うことがない。見るもの、聞くもの、言うこと、行うこと、ことごとく道によっている。そこには人の本来の心の働きである「性」の偏りのなさ(中)が、家庭のレベルでも、国家のレベルでも、世界のレベルで見られるが、それは道の徳の働きである。そうであるから道が安的的に行われていれば分安定であるところは存しないことになる。道が着実に行われていれば虚飾は見当たらないことになる。それはまさにこの社会を純朴な状態に戻そうとするものでもあろう。太古の状態に返そうとするものでもあるわけである。そうであるから「つまり正しい人は安定した境地にあるのであり、不安的なところに立つことはない。着実なところにあって虚飾を好しとしない」としているのである。


〈奥義伝開〉老子は最後にまた当時の格言を持ってきているようである。ここでの最後の一節と次の一節は表現としては唐突で言葉が足りない感じを受ける。それは格言が挿入されているからであろう。ここでの格言部分は「着実なところにあって虚飾を好しとしない」である。これは格言としては「急がば回れ」の類で、手軽に利益を得ようとするよりは確実な方法を取った方が結局は良いという教えであったのであろう。それを老子は合理的な行動によるべきで、不合理な行動は結局は良い結果をもたらさないという教えとして解釈しているわけである。


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