道徳武芸研究 合気のカタチとしての柔道、五つの形(8)
道徳武芸研究 合気のカタチとしての柔道、五つの形(8)
晩年の植芝盛平は合気道の形を「気形」として武術的なフィールドから離脱させようとしていた。そして更には「神楽舞(かぐらまい)」として「言霊(ことだま)の舞」をも作ろうと岩間では模索をしていたのであるが、東京の道場では専ら武術としての合気道が求められ、結局は隠棲した岩間での気ままな探究が合気道に活かされることはなかった。これは嘉納治五郎も同様で五の形や古式の形はセレモニーとして演武されるだけで、そこに柔道の真髄を求めようとする機運は全く見られない。合気の稽古は「相手との一体感」を技を受ける方も行う方も保持し続けなければならないという「条件」があり、これが実戦とは大きく異なるために常に誤った稽古に陥る危険性がある。しかし、これらを正しく理解して稽古をするならば日本人が古代から千数百年をかけて研鑽を続けた武術の遺産を受け継ぐことが可能となる。「合気」は「柔」の伝統の中にいろいろなカタチをもって存していることも考えられるべきであろう。