道徳武芸研究 『老子』第三十二章と意拳の試み(1)

 道徳武芸研究 『老子』第三十二章と意拳の試み(1)

今週は『老子』三十二章を取り上げている。これは「樸」「名」「器」に就いて述べたもので、便利な「器」を使う時には注意をしなければならないとの教えであった。老子というと単純に文明の利器である「器」を否定して、自然のままである「樸」を尊んだと誤解されているが、そうではない。充分に注意をすれば「器」を使うのに問題はないと教えている。意拳は王向斉によって創始されたが、そこにもこの「樸」と「名」と「器」との関係における問題意識が前提としてあったのである。王向斉の生きた中国近代は「器」としての套路に固執するために門派どうしの対立が生まれることへの弊害が大きく指摘された時でもあった。それは三百年くらい前にはヨーロッパを凌駕していた中国文明が、近代になると遥かに遅れをとっていたという事実が背景としてあった。ヨーロッパでは「大学」が設けられ「知」は広く公開され共有されたので急速な文明の発達を見ることが出来た。そのことに近代中国の人々は気づいたわけである。


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