宋常星『太上道徳経講義』(20ー8)

 宋常星『太上道徳経講義』(20ー8)

多くの人は余りある程持っているが、自分一人は必要以上に持つことはない。

一般の人の気持ちとしては、常に「足りないのではないか」と不安に思うものであろう。そして終日、止むこと無く名誉や金銭を求めて、繁栄やを追い、損得に執着している。そして自分の思い通りにしようとして、その欲望は止むことが無い。多くの人はただただ余る程の物を求めているが、自分一人はまったくそうではない。そうでないのは、求める心を棄てて、知足の思いを持っているからである。名誉が我が心を乱すことは無く、利得が我が心を惑わすことも無い。ただ道が求められるべきものであることを知るのみであり、その他に求めるものなど無い。何事にもとらわれること無く(空空洞洞)、常に清らかで、常に静かで、本当の自由を知っている。そうであるから「多くの人は余りある程持っているが、自分一人は必要以上に持つことはない」とあるのである。


〈奥義伝開〉余計なものはかえって邪魔になる。人が物を持つのはそれで生活が良くなるからであろう。しかし余りに不必要な物を持つと、それはかえって生活を抑圧するようになってしまう。これは物だけではなく、行動全般にわたる注意点であろう。入学式、卒業式、成人式などといった儀式に執着する人も多いがそれにどれ程の価値があるのか。「本当に自分にとって必要なのか」を問い直しても良いのかもしれない。また多額の税金を浪費して行われる無意味な儀式についても、「本当に必要か」と改めて考えて見れば無意味さが分かってくるのではなかろうか。


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