道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(7)

 道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(7)

武田惣角や植芝盛平以後、大東流、合気道における「神」の力への希求は何処に行ったのであろうか。海外ではかなり前から「気」の感覚をして合気道を説明する人が多く居た。特に80年代の「精神革命」と称される東洋を中心とする神秘主義の流行の中で合気道も禅などと共に見直されて、「気」の感覚を開く方法として教えられることもあったようである。そうした経験を持つ人が「本場」日本の合気道の道場に入門してみると、「気」などは一切語られることはなく受け身や投げをひたすら稽古するだけであったので、すぐに失望して止めたという話は何度か聞いたことがある。その頃の日本の合気道の本は技が解説してあるだけであったが、アメリカなどでは「気」の流れや「気」の感覚を得ることで新たな知覚が開かれると説明しているものが多かった。ジョージ・レオナードの『魂のスポーツマン』からはそういった取り組みを知ることができる(レオナードには「合気道への道(The Way of Aikido)」2000年という本もある)。こうした方向性はある意味で合気道の本義ともいうべきものであるが、日本では既に「組織」が出来てしまっているので、相手が必要な合気道ではなかなか実践することが難しく、実質的にはこうした神秘的なことは新興の中国武術が担うようにもなる。


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