宋常星『太上道徳経講義』(19ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(19ー6)

つまりこれらの教えが依って立つところがあるのである。

「教え」とは戒めのことである。「依って立つ」とはその本質であり、根本でもある。この教えは、ここに述べられている三つのことであるが、それは治世の要であり、民への教えの基準でもある。その依って立つところ、それを民は信じて実行しようとすることは疑いもないことであろう。そうであるので「つまりこれらの教えが依って立つところがあるのである」としているのである。


〈奥義伝開〉次に述べることであるが、老子はシンプルであること、本当に必要なものは何か、をよく考えることが収奪者にだまされないために必要なことと教えている。「易経」では「易」「簡」は正しいか、そうでないかの判断基準たり得るとする。あえて「聖」なるものが必要なのか。あえてこの情報(智)は必要なのか。例えば危機情報などは、各省庁が予算を獲得するために、かなり意図的に流されることも多い。こうしたものに惑わされないように「本当に必要なもの」をよく見極める必要がある。


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