道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(4)

 道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(4)

また大東流の源流が「遍歴」によって「文化」をもたらす人によって伝えられたこと、またそうした人は通常の定住生活をしている人の外に暮らす人たちであった。時にこうした人たちが「ごろつき」などと言われることがあるのは定住する人たちとは別の価値観を持っていたためである。いうなら反体制的な生き方をしていたからであるということもできるかもしれない。こうした人たちと西郷頼母が接した得たのは会津が明治政府によって負けたことによるのであろう。そうしたことからすれば頼母が西南戦争の西郷隆盛を支援したことや養子の四郎が大陸での「政変」に強い関心を持っていたいこと、さらには植芝盛平も政府から大弾圧を受ける大本教の信者であったことなど、見えない糸ともいうべきある種の「影」のようなものが大東流に関係する人たちの間に見て取れるのである。


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