道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(3)

 道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(3)

武田惣角は「英名録」を持って各地を周っていた。そこには警察署長や裁判官など地方の「名士」とされる人物の名が「弟子」として記されていた。これは見知らぬ土地で自分の実力・権威を「証明」するためのものであった。つまり惣角の伝授の形は「遍歴」をして「文化」を伝えた人たちの影を色濃く残していたのである。これに対して植芝盛平は既に近代の「道場」の人であった。大体において「遍歴」をして教える武術では多くの技は必要ない。大東流において一部の技が伝書に記されているものと似ているのは、「遍歴」武術としての大東流の原形を伺わせるものと考えられる。現在ではこうした「遍歴」によって「文化」を伝達する人はごく少なくなったが、芸能ではいまだにそうした人が居る。テレビでは何度かやった芸は飽きられるが、各地の市民会館などを巡っていれば、同じ芸の「たね」を長く使うことができる。大東流の技はおそらく惣角が定着して教えるようになってから増えて行ったのであろう。堀川幸道も惣角が「思い出した」と言って新しい技を教えていたと述懐している。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)