道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(2)

 道徳武芸研究 大東流の「伝承」について(2)

これは武術に限らないが、近世以前の「文化」の伝達と、近代以降の「文化」の伝達には大きな違いがある。それは近世以前においては「遍歴」をして「文化」を伝達する人が数多く居たことである。もちろん江戸や京都には儒教や武術の「塾」があり、地方にもそうした「塾」を設けたり、藩校で教えたりもされていた。しかし、特に民間にあっては多くの「文化」を持ち歩く人たちが居たことを忘れてはなるまい。これは松尾芭蕉の『奥の細道』を見れば明らかであるが、各地方には「文化」を欲する人たちが居て、そうした人たちの間を巡って教えを授けて生活をしている人が居たのである。これはもちろん俳句だけではなく、和算や武術、国学や儒学、そして芸能などあらゆる「文化」が「遍歴」をする人たちによって各地にもたらされたのである。こうした人たちを折口信夫は「まれびと(客人)」と称し、また時には「ごろつき」と見なされることもあったとする。つまり、こうした人たちは日常世界の外に居る人たちだったのである。頼母、惣角以前の大東流の「伝承」が分からないのは、そうした「まれびと」によって伝えられていたからではなかろうか。そして大東流や合気道には、その「痕跡」を見ることが可能なのである。


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