宋常星『太上道徳経講義』(18ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(18ー4)

国家が混乱すれば忠臣が出て来る。

心の底から、そして心を尽くして行われるのが「忠」である。上の者と下の者との区別が明らかでなければ、そこには混乱が生まれる。国家にあって失政があれば、これを「混乱」ということができる。聖なる君主が在位していた頃を詳しく考えて見るに、君主と民は共に楽しみ、等しく平安であった。国は治めやすく、民は安らかに暮らすことが容易であった。人々は「忠」を思い実践していたが、そこで殊更「忠」が意識されることもなかった。そうした時にどうして「忠」があえて求められるであろうか。一方で国家が混乱したならば、忠節を立てることは難しく、忠義を尽くしたとしても、それを通すことは困難である。この身を捨てて国に尽くし、あくまで大義を行い、国祖建国の精神を失わないようにしたならば、ただそれを当然のこととして行ったとしても、国が乱れている時には「忠臣」としてその名が知られるようになるであろう。たとえば殷の紂王は無道の政治を行っていたが時、箕子のために比干は殺されてしまった。そして比干は長く歴史に「忠臣」の名を留めた。もし紂王が道にそった政治を行っていれば、聖なる君子と賢い臣下が居ただけで、箕子は囚われることもなく、比干は殺されることもなかったであろう。もちろん忠臣・比干の名が今日に伝わることもなかったであろう。そうであるから「国家が混乱すれば忠臣が出て来る」とあるのである。


〈奥義伝開〉「国」は人為的なシステムである。これは先に「知恵」とあったのと同じで、機能しなくなれば作り直さなければならない。しかし「国」というシステムによって収奪の利益を得ている人たちはそれをなんとか維持しようとする。こうした人たちが「国」の中枢に居る人たちからは「忠臣」と褒めそやされる。また不思議なことに現実には収奪される側に居る「庶民」の中にも「国」の収奪システムを維持しようとする人が出て、これも「忠臣」とされる。「庶民」の「忠臣」で最も悲惨なのは戦争英雄であろう。最後は命まで奪われて「国」の中枢にある収奪者は温々と生き残り、収奪は続いて行くのであるから。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)