道徳武芸研究 合気と柔術〜なぜ大東流は「複雑」化したのか〜(2)

 道徳武芸研究 合気と柔術〜なぜ大東流は「複雑」化したのか〜(2)

植芝盛平は大東流の「複雑」な固め技にはあまり興味がなかったようで、合気道に採られているのは5本ほどの簡単な抑え技であり、投げ技にしてもいくつもの手順を要するものは採られていない。つまり盛平が関心を持ったのは後に合気道を開くことでも分かるように「合気」にあったのであり、「複雑」な固め技ではなかったということである。これをいうなら盛平が重視したのは大東流の「合気」であって「柔術」ではなかったということも可能であろう。盛平が武田惣角に入門した時には固め技で相当に痛めつけられたと伝えられていて、その威力についてはよく認識していたことと思われるが、そうした部分よりも「合気」の方に盛平の関心はあったのであろう。実際に「複雑」な技を自由に抵抗する相手に掛けることはできない。「王者の座」という映像でも後に十段を許される藤平光一は関節を用いた投げをしようとしても掛からず柔道のような投げでなんとか巨漢のアメリカ人(?)を制している。また試合を行う富木流でもこうした事情は変わらない。実戦で使えない「柔術」技法を練習しても仕方がないという思いが盛平にはあったのであろう。


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