宋常星『太上道徳経講義』(18ー2)

 宋常星『太上道徳経講義』(18ー2)

大道が廃れてしまうと、仁義が現れる。知恵が出てくると、大いなる偽(つくりごと)が生まれる。

太古の頃は世の中がうまく治まっていた。それは三皇(伏羲、神農、黄帝)が在位していた時代であり、上下皆ひとつであった。仁義や知恵、忠孝といったことを教えられることが無くても、そうした徳は行われていた。人々は自ずからそうした徳を行っていたのである。つまり、そうした教えはなかったが実質的には仁義や知恵、忠孝といったことが行われていたのである。こうした教えがなくても、人々はそのままで仁義を実践しており、知恵も持っていて、忠孝も行っていた。それは、ただ人々がそれぞれが行うべきことを行っていたに過ぎないのである。こうした状況では上も下も互いに道を実践しているなどと考えることもない。日々の暮らしの中では仁義も知恵も忠孝も忘れられてしまっている。しかし、そうしたことが行われなくなると、君主は「道」を示して統治をせざるを得なくなった。無為の徳化が行われることがなくなったのであり、ここに大道は既に隠れてしまった。大道が失われてしまったのである。それは自然に失われたのではなく人が自分で手放したのであった。もし仁義ということをいわないで仁義を実践したとしても、その行為は仁義と称されることであろう。そうであるから「大道が廃れてしまうと、仁義が現れる」とされているのである。仁義が殊更に言われるようになるとは、そうした「知恵」が見出されたということである。仁義といった「知恵」が見出されなければ「仁」を実践しょうとしてもできないし、「義」も広く為されることはない。つまり三皇の世は仁義をして天下を治めていたのであるから、それが失われた時代にあって仁義を実践しようとするなら「仁義」という知恵が出ないでは不可能なのである。そうした知恵が出れば、天下の民は、知恵に従うことになる。ここにすでに純朴なる世の中は失われており、本来のもの(大道)は損なわれてしまっており、ここに滅びの時を迎えることになり、国家は乱れてしまう。こうしたことは以上のようなことによって生まれるのである。春秋の戦乱の時代になると五覇が生まれた。聡明なる人物が輩出し、思いもよらないような才能を持っている人が多く出た。彼らは偽(つくりごと・いつわい)の仁、偽りの義を行い、人を騙すことを多く行った。利を求め名を得ようとしていたのであり、こうしたことは全て自分の利益のために行っていたのである。こうしたことが為されたのは全て知恵が出てきたからに他ならない。そうであるから「知恵が出てくると、大いなる偽が生まれる」とあるのである。


〈奥義伝開〉「大道」とは人が人としてあるべき状態をいう。孫文は近代の象徴でもある「自由、平等、博愛」において「博愛」が実現された社会が「大道(大同)」であるとして「博愛」を特に重視していた。そうした社会の基盤が「自由」と「平等」の保証であった。老子は人が不適切な過度の欲望を持つことで理想的な社会が失われると考えている。そして、そうした不適切な欲望は人が本来、持っていたものではないので、大道の失われた社会は自然ではない。そうであるから人は自然にもとの状態に還ろうとして、その方途として「仁」や「義」を考え出すことになる。これが「知恵」である。しかし、こうした人為によるものは往々にして誤りを生じやすい。偽りの「仁」や偽りの「義」を騙る人が出て来る。これが「大偽」である。「知恵」は人にとって必要な場合もあるが、健康な人に薬が必要ないように、むやみに用いると逆効果となってしまうのである。


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