道徳武芸研究 なぜ合気道は「愛の武道」なのか(2)

 道徳武芸研究 なぜ合気道は「愛の武道」なのか(2)

最近の合気道の演武を見ていると、やたらに激しく技を掛ける人が多いのは気になるところである。これは、激しく投げたりしなければ実戦的ではない、威力がない、という思いからなのであろう。しかし、合気道で示されているのは攻防の「最終形態」そのままではないことに留意しなければならない。武術には、最終形態を「具体的に示すシステム」と「抽象的に示すシステム」があり、合気道は後者なのである。そうであるから盛平は「合気道の形は気形である」としていたわけである。しかし武術には「実戦と同じ動きでなければ、間合を含めての実戦の稽古はできない」として、動きを実戦の範囲に限定するのを良しとする門派もある。詠春拳などはその代表であるが、世に「小架」などと称される動きの小さいものは大体が実戦を想定している。一方、体の鍛錬や「実戦では緊張して体が動かなくなるので練習ではできるだけ体の稼働範囲を広げたほうが良い」とする考え方もあって、これは動作を高く大きく行う。そうなると実戦では「1、2、3」の動きが「1ー、2ー、3ー」となってしまい、間延びしたような形になる。しかし、そうすることで個々の動きの細部まで練習が可能となり、無駄な動きを削ることができるようになるので、結果として実戦での動きも速くなると考える。


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