宋常星『太上道徳経講義』(17ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(17ー6)

つまり、ここに重要な言葉がある。

天下、国家に太古の美風を求めるとすれば、太古の素朴さが求められることになろう。ただこうした美風を人々に教え導こうとしても、民衆を太古の淳朴さに返すことなどできはしない。こうしたことでは天下を統治することはできはしないのである。つまり、ここで述べられているようなこと(論理的な思考)が重要となるわけである。「不言」の教えを行うと、(それは無為による統治であるから)天下の民も無為にして自ずから教化されることになる。こうなると期せずして「上」と「下」に「信」が生まれ、人々は君主は「親」しくされることも、「誉」められることも自ずからなくなってしまう。「畏」れや「侮」りも生まれることがない。つまり(それが現実に行われるかどうかは問題ではなく)こうした「論理が重要」なのである。


〈奥義伝開〉ひとつの構築されたシステムは必ず崩壊に向かうというエントロピーの法則が注目されたこともあったが、それは我々の社会でも同様である。仏教の末法も、仏教というシステムが長い間には崩壊してしまうことをいうものに他ならない。人も同じで人体というシステムは必ず崩壊する。つまり死なない人はいないわけである。あらゆるシステムのは終わりが来る。この真理を忘れないことが重要で、そうした崩壊を止めようとするところに間違いが生まれると老子は教える。どのような改革も革命もその結果として必ず「上」と「下」が生まれる。最後に老子は言い伝えられた格言を、次に示してこの章を締めくくる。


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