宋常星『太上道徳経講義』(17ー3)

 宋常星『太上道徳経講義』(17ー3)

次に(太上は)親しんだり、誉めたりすることを見た。

「次」とは伏羲や神農の次の五帝(黄帝、顓頊、帝嚳、唐堯、虞舜)の時代のことである。この頃、礼儀や儀式の音楽が定められ、尊卑の存することがいわれるようになった。礼服が設けられて貴賤が区別され、宮殿も造られた。こうして太古の洞窟生活に人々は別れを告げたのである。橋が掛けられて、通れない川も渡ることができるようになり、舟や車が作られて水や陸を行くことも可能になった。文字が出来て、縄の結び目による記録をしなくてもよくなった。こうして人々の心は次第に開かれて行ったのであり、人々の生活は次第に複雑になって行った。結果として「仁」や「義」を説いて人々を教化しなければならなくなった。つまり君主は「仁」を実践するのであるから人々に親しむことになるし、「義」を重視するので「義」を実践する人々を誉めるようになった。これは太古の暮らしとはおおきく違っている。そうであるから親しんだり、誉めたりするのは、(意図的な行為であるために)「次」であるとしているわけである。


〈奥義伝開〉ここでの「親」と「誉」は次の「畏」と「侮」からすれば「親」は「上」から「下」へ、「誉」は「下」から「上」へのものであることが分かる。つまり搾取が円滑に行われている限りにおいて「上」は「下」に優しく親しみをもって接する。「王」は笑顔で「下」の民衆に接したりもするわけである。それを「下」は喜び「誉」め称える。老子からすれば権力者を歓呼の声をもって迎える民衆はまさに愚民そのものということになろう。


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