宋常星『太上道徳経講義』(17ー2)

 宋常星『太上道徳経講義』(17ー2)

太上は「下」があることを認識した。

「太上」とは古代の聖なる君主のことである。「下」とは人々のことで、太古の優れた時代には天下の人々は「上」に君主が居ることを知っているだけで何らの煩いを感じることもなかった。つまり「上」が自分たちを統治していることを意識することがなかったのである。これは君主が人々を軽視しているからというのではない。それは「道」をして人々を導いていたからである。そうであるから「道」のままである民衆にあっては「道」を行っている君主が何か特別なことをしているとは思えないのであった。天下の「上」と「下」は一体であり、万民は「一心」となっていた。そうであるからここでは「太上」は「下」があることを認識している、とあるだけなのである。つまり伏羲や神農が現れる前、鳥獣は隔てなく暮らしており、人の守るべき道が定められていることもなかった。人心は淳朴であるが、自分では淳朴であるとは思ってもいなかった。人々の暮らしも大まかで、人々はそれを意識することもなかった。ただ日々の生活を送っているだけで、何も気にすることのない生活をしていた。こうしたことを前提に、ここでの老子の言葉の意味を理解して欲しい。


〈奥義伝開〉老子は慧眼をして普通の人の見ることのできない「社会矛盾」の存していることを告げる。多くの人は「王様はりっぱな宮殿に住むもの。庶民は小さな家に住むのが当然のこと」と思い込まされているが、それは「上」の収奪者たちによってそのように思い込まされているに過ぎないことを老子は先ずは指摘をする。


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