宋常星『太上道徳経講義』(16ー12)

 宋常星『太上道徳経講義』(16ー12)

「道」は永遠なるものである(久)。

太古から長く存している「永遠なる存在(常存)」ということを子細に考えてみるならば、悠久無窮の道ということになる。つまり「真常の道」ということである。これを天地に得たならば、天地はつまり「常久」となる。これを人や物に得たならば、人や物は「常久」となる。「常」なる存在が人であることが分かったならば結局、その人は永遠なる存在となる(久)。つまり大道と同じとなるのである。物の生成(造物)と道とは同じである。つまり「『道』は永遠なえうものである(久)」とはこのような意味なのである。


〈奥義伝開〉この世には一定の法則があるのか否か。老子はそれが有ると考えて、それを「道」として「道」を深く知ることでこの世の仕組みが分かり、悩んだり、生きることに苦しんだりすることはなくなる、と考えていた。ただ本当に「道」があるのかどうかは分からない。中国ではインドのように、そうした課題を探究しようとする欲求が大きくなることはなかった。現実問題として探究しても仕方がないと思ったからであろう。釈迦もそうした探究をあまりし過ぎてはならない、と教えている。ただ永遠普遍の法則かどうかは分からないが「静」の境地を会得して、過度な執着を捨てる(虚)という生き方もひとつあるということを知っておくのも良いのではなかろうか。


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