道徳武芸研究 八卦掌における吉祥寓意(4)

 道徳武芸研究 八卦掌における吉祥寓意(4)

結局において孫禄堂が「球」として形容しようとしたものは何であるのか、といえば、それは「肘」の使い方にある。八卦掌では相手の「圧」を受けると肘を上げたり、下げたりといろいろの角度に変化をさせて、相手の力を流してしまう。一方、太極拳では肘を後ろに引くことで相手の力を流す。また形意拳では肘そのものは動かさないで身法によって力をかわす。このような力のさばき方の違いを孫禄堂は「球」として表しているわけなのである。八仙過海はこうした「球」の奥義が形意拳と八卦掌の融合にあることを示している。ちなみに麒麟吐書はその重要性が吉祥を告げる麒麟でも、玉書にあるのでもなく、新たに生まれるものにあること、つまりこれまで習得してきた形を超えたものこそが本当の奥義であることを示している。このように八卦掌における「吉祥寓意」はその奥義である「到達点」を暗示するものなのである。


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