道徳武芸研究 八卦掌における吉祥寓意(3)

 道徳武芸研究 八卦掌における吉祥寓意(3)

相手の攻撃をそのままに受けてしまったのでは武術としての「術」の意味がない。そこでいろいろな工夫をして大きな力や激しい勢いの攻撃でも対処できる「術」をそれぞれの武術では考案してきた。孫禄堂が「球」として捉えていた動きを端的に示すのは八卦掌では風輪掌、形意拳ではダ形、太極拳では雲手であろう。これらは共に両手を向かい合わせる形となる。そこで形意拳が「鉄球」とされるのはダ形では相手に触れてもその形を変えることなく、それでいて相手の勢いを外してしまうためである。この場合に接触点での「圧」はそこそこ強くなり、ある程度「沈身」ができていないとこちらの身体が浮いてしまう。また八卦掌でも接触点の「圧」は一旦はある程度の大きさになるが、それをすぐに上下左右に動いてずらしてしまう。その力の通り道がいくつもあって、どの方向にずらされるか分からないので「鉄糸」と形容されている(糸が相手の力をずらす道としてイメージされている)。一方、太極拳は接触点の「圧」がほとんど無い。そうした状態を押せばすぐにへこんでしまう「皮」の球としているわけである。龍形八卦掌の八仙過海は孫家八卦掌の風輪掌をより複雑に展開したものということができる。風輪掌では、ひとつの大きな球を抱えているような比較的単純な動きであるのに対して、八仙過海はダ形と同じくらいの両手の感覚でそれを上下左右に動かして、あたかも球を撫でているような複雑な動きをする。


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