宋常星『太上道徳経講義』(16ー10)

 宋常星『太上道徳経講義』(16ー10)

世の中心に立つもの(王)はつまりは「天」と一体なのである。

あらゆる物からのとらわれから脱していて、優れた徳を持ち高い倫理を有しているのが「王」である。そして「王」は上にあっては「天」の働きそのものでもある。下にあっては「人」のあり方そのものである。天道を体して王道に立つ。礼楽や制度は王道を実践するためのものであるとしても、時によって具体的なやり方は異なる。こうした変化はすべて天の道の奥深いところといえよう。こうしたところからすれば、王の徳はけっして天の徳を外れるものではなく、王の道はけっして天の道と異なるものではない。こうした地位に達したならば、「王」はつまりは「天」と等しいことになる。「天」はつまりは「王」ということになる。「世の中心に立つもの(王)はつまりは「天」なのである」とは以上のようなことなのである。


〈奥義伝開〉太極・陰陽を完全に体現した「王」はその働きそのものであるから「天」とも一体である。老子があえて「天」だけを言い「地」を触れないのは、この「王」が普遍の時間に存するものであるからに他ならない。「地」は空間であり、それは実際の施政に関係するので施政の政策は時や場合に応じて変えていかなればならない。しかし「天」で象徴される「原理」は普遍のものとして存している。老子のいう「王」では特にこの部分が強調されていることに留意しておくべきであろう。普遍の原理としての「王」とは太極・陰陽の「理」そのものなのである。


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