宋常星『太上道徳経講義』(14ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(14ー6)

その上はあきらかならず。その下は昧(くら)からず。

「あきらかならず」「昧からず」とは、明らかであって明らかではないということである。暗いようで暗くはないということである。仰いで「その上」を観ても「その上はあきらかではない」のであり、俯いて「その下」を察しようとしても、「その下は昧いからず」なのである。譬えば虚空に満るようなもので、あまねく法界は、区別はなく、間断もない。渾渾溟溟としており、万法を包括しており、それと関係していないものはなく、存在してないところはないのである。総ては皆、大道真一不二の妙理であり、一をして貫かれている。そうであるから「その上はあきらかではないが、その下も見えないではない(その上はあきらかならず。その下は昧からず)」とあるのである。


〈奥義伝開〉あきらかであり、あきらかでない、昧くもあり、昧くもない。これは「かすか」であるということを表現しようとしたものである。それはテレビや新聞の写真を細かに見るとすべて点の集合であることが分かるように、いろいろに見えているこの世もすべて等しい存在であることが分かるわけである。人の生物学的に見ればだれも等しく「人」であるに過ぎない。これがこの世の当たり前の法則(道紀)であると老子は述べているのである。


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