道徳武芸研究 武術と武道(3)

 道徳武芸研究 武術と武道(3)

かつて中国武術の散打の試合において「套路の風格が出ていない」というあまりにも幼稚な批判が少なくなかった。またそれを受けて「套路の風格」を出して空手と試合をしてひどい負け方をした様子がテレビで放送されたこともあった。ただ空手においても「型は試合に使えない」ということがよく言われており、「型の稽古よりもサンドバッグを打った方が良い」などとされることも多くなっている。型稽古(套路の稽古)は本来が中国の「道」の考え方から生み出されたものであって、それが「結果(この場合は実戦)」でないことは既に述べた通りである。套路はあくまで「過程」であって、例えば攻防という「結果」においては、それぞれの状況に応じて「結果(実際の攻防の動き)」は生み出されなければならないことになる。あえていうなら実際の攻防においてはむしろ表面的な「套路の風格」などは出ない方が良いのである。老子は「(本質を知ることのできない人は、本質的な展開を見てそれが表面的な「本質」とは異なると言って笑うものである。実際において表面的な「本質」が用いられることはない。そうであるから本質を知ることのできない人が笑うようであれば、それは真の意味での本質が用いられていることの証左ともなり得る)下士、道を聞けば、これを大いに笑う。笑わざれば、もって道と為すに足らず」(第四十一章)と教えている。ユーチューブでも見ることのできる呉公儀と陳克夫との試合においてもよく「太極拳の風格」が出ていないとされるが、最初に呉が陳の鼻を打つことができ、その流血が止まらないことが試合の継続を不可能にさせたのである。こうした攻撃が可能であったのは呉家の前傾姿勢にある。呉家の前傾姿勢は重心を足の後ろ(踵の方)ではなく前(指の方)に置くので、攻防において間合いがかなり近くなる。このために陳は中心の防御ラインを簡単に突破されることになったわけである。太極拳の「道=本質」を体得していた呉公儀は套路に拘泥することがなかったので、状況に応じて太極拳の「道=本質」をより良く使うことができたのであった。


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