道徳武芸研究 武術と武道(1)

 道徳武芸研究 武術と武道(1)

中国では武道という言い方はしないが、武術が語られるシーンでは「道」について触れられないということはない。武術の目指すところは「道」と一体となることであり、武術の修行は「道」を外れたものであってはならないとされるのである。このようにある意味で日本よりも武術の稽古において「道」が重視されることが多いのであるが、日本の武道のように「武」と「道」とが結びつくことはない。「道」は武術という「術」を超えたところにあると考えるのである。かつて八卦拳に入門しようと何静寒老師のところに初めて伺った時に、老師は「重道ということがある。これが八卦拳を修行する上では最も大切なことである」と言われて感激したことを覚えている。「重道」は「道を重んじる」ということであるが、これは「尊師(師を尊ぶ)」と一緒になって「尊師重道」として語られる。老師は「尊師」をあえて言われなかったのでその謙虚さに感動を覚えたわけである。中国では「師」を「道」の体現者と見なして、これらを一体のものと考える。中国での武術修行は「術」を通して「道」の体現者としての「師」と交わりを持つことで術を超えた道を体得しようとする。この過程は「守、破、離」として教えられることもあり、「守」は術を体得する段階で、「破」では術を通して師より「道」へと入ることになる。ここにおいて「術」のこだわりから脱するわけである。最後は術も師も超えて自由に独自の境地を目指す「離」となる。


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