道徳武芸研究 鉄砂掌を考える(6)

 道徳武芸研究 鉄砂掌を考える(6)

鉄砂掌は優れた練習法であるが、ある種の「超人願望」が投影されることもあって誤った練習がなされていることが多いようである。例え競技組み手であっても、多く徒手での攻防を行う環境において巻藁で拳を固めるよりも、サンドバッグを打った方が良いとされるようになった事実は、掌を鉄と化するような練習が「実戦」的ではないことを実証している。これは競技試合すらすることのない「武術」家たちからの批判よりも重視されるべきものと思われる。このような「超人幻想」を抱く人は古武術や中国武術には少なくない。現代武道でも古武術や中国武術でもその根底にある「理」は何ら変わりのないものなのであり、どのような「妄想」の入り込む余地も本来どの武術、武道にも存していないのである。


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